高校卒業後、大学に進学し、親元を離れ一人暮らしをしました。
全然勉強しませんでしたが大学卒業後は大学院に進学しました。
学費には奨学金を借りて充てました。
奨学金は上限いっぱいいっぱいを借りました。
学費だけでなく部活の費用や飲み食いなど半分くらいは学業以外の事に使いました。
大学院卒業後私は約800万の額を返済する必要がある状況に陥りました。
「助けて神様ヘルプミー」なんて言いながら毎週お酒を飲みながらガハハって騒いでいて、気が付いたら数年前には返済し終わっていました。
奨学金返済の思い出は残っていませんが、学生時代の部活や友人との色んな思い出は鮮明に残っています。
きっと僕が死に際に奨学金を返済していたことなんて微塵も思い出さないでしょう。
きっと思い出すのは預金通帳の残高のことでもない。
きっと家族との思い出や、学生の頃の思い出や、社会に出てからの楽しい思い出や、新しい家族との思い出なのだと思う。
爪に火を灯すような生活をして小銭を稼いでもしょうがない。
きっと今の会社で働き続ける限り早期リタイヤなんてできるだけの金銭はたまらないのであって、おそらく数十年は働き続けないといけないのだ。
数十年お金を貯めるために心に余裕のない人生を送るのは貧しい生き方になってしまうのではないかと思うわけです。
金持ち父さん貧乏父さんでは生きるためにお金を稼ぐのはラットレース中のネズミだって揶揄されていましたが
マルクスはどんなものとも交換可能な商品として貨幣を表現していましたがそうなんです。
もともと反物とお米を変えたい人は反物とお米を変えて
魚と肉を交換したい人は魚と肉を交換する。
でも都合よく自分が持っているものと交換したいモノを持っている人と巡りあえないからどんなものとも交換できる貨幣が誕生したんです。
資本家はお金を商品に変えてお金を増やしますが、僕は資本家ではないのでお金は商品に変えて初めて価値が生まれるのです。
「ザックザック金稼がなあきまへんやろ!」から「心が穏やかに楽しく素敵な人生送りましょう!」に世の中シフトしていっているようだ。
24時間働けますかなんてCMは今は流れないし
車のCMも「何馬力!」とか「ツインターボエンジン搭載!」「最高速度〇キロ!」とか商品のスペックは一切うたわずに「家族と山にキャンプに遊びにいけまっせ」とか「家族と星見てドライブできまっせ」っていう文句がおおい。
車の価値ではなく、車を買えば思い出っていう価値創造ができるよってことをアッピールしているのです。そっちのほうが消費者にウケるんですね。
僕もそう思う。
過剰にお金を貯める必要はない。
サラリーマンだったら自分の給料以上に会社に貢献していたら
しんどい時は休んだらいいし
年休取って家族で旅行にも行ったらいいし
本を読んだりしたらいいし
映画を見たりしたらいいし
服を買ったらいい
家族で美味しいものを食べたらいいし
子供を連れて遊園地に行ったらいい
それでいいと思う。
金なんてそのものに価値なんてないんだ。
楽しい思い出をいかに沢山作るかの方がずっとずっと大切なんだ。
と思うけどお小遣い程度の僅かな軍資金で買った株の増減に
会社の大便器の上で毎日一喜一憂している僕はお金もやっぱり好きなんだと思う。
儲けたらちょっといいウイスキーでも買ってみよう。