男のEXECUTIVE~SUPER DESTINY BOY 2~

仕事のできない三十路サラリーマンが思ったことを綴っていくブログです。

2020年 半分経過しての振り返り【1.2月の振り返り】

2020年は新型コロナウイルスってやつで自粛ばっかりしていたので各月の思い出がなかなか無いのにあっという間に半分以上経過してしまった。

 

振り返りたいと思う。

 

【1月】

正月、奥さんは身重だったため単身で実家に帰る。

実家での正月の集まりで両親や祖父母や親せきと会う。

祖父は痴呆が進んでいたけど、沢山ご飯を食べれていた。元気だった。

祖父がトイレに行く際に私が肘をもってトイレまで連れて行った。

しっかり便器を狙ってトイレができていた。

皆が帰った後に父が「誰かおしっこをこぼした人間がいる」ってトイレ見て言っていたけど祖父ではない、私が見ていたので間違いない。

その日祖父がトイレに行ったのは一回だけ。

おそらくこぼしたのは親戚のおじさんだろう。

数日実家を満喫し大阪の自宅に帰る。

 

数日後。

 

子供をお風呂に入れているときに、脱衣所においてあるiPhoneの着信音がなった。

お風呂から上がりiPhoneを見ると「おじいちゃんが亡くなりました」と父からラインが入ってきていた。

 

翌日午前中だけ仕事をして午後から実家に向かいました。

九州に付くと兄夫婦が車で迎えに来てくれて、そのまま祖父の家に向かいました。

どうやら兄夫婦は前日から葬儀の準備で祖父母宅の片づけ等で働きっぱなしだったようです。有難い。

車中で祖父の死因を聞く。

ヒートショックだったらしい。

祖父がお風呂に入り、祖母は晩酌のあてである刺身を準備して着替えを持って風呂場に行くと浴槽内で亡くなっていたそうです。

発見当時、浴槽内に水はなく、おそらく暴れて栓が抜けてしまったようです。

祖母も動転していたのか「祖父が浴槽内で動かないからダメかもしれん」と父に電話をしたらしいですが「俺より先に救急車やろ」って言われてそこで初めて救急に電話をしたようです。

救急車の中、また病院についてからも懸命な救命活動をしてもらったそうですが、発見が遅かったことと、高齢だったこともあり、助かりませんでした。

 

亡くなった当日の夜中、かけつけた兄夫婦が家の片づけをしているときに

「もういらないね」っていいながら祖父の常飲していた薬や、

晩酌のあてになるはずだった刺身を捨てる祖母が切なかったそうです。

 

 

祖母は後妻である。

この葬式を通して色々なことが聞けた。

 

父が子供の頃はまだ土葬文化で

家の近くの山に30.40も土葬の瓶があったそうだ。

父が子供の頃は神主の格好した先祖を遺体を埋めていたということです。

それを父が中学校1年〜2年生のときに全部掘り返して火葬し直して骨にしてお墓に納めたそうです。

瓶をコンクリートで蓋をした人は屍蝋状態で出てきたそうです。

 

 

祖父の妻は、父が高校生の時に亡くなったそうです。

父が学校で試験を受けている最中に先生から訃報をきいたそうです。

そのからは、高校生の父と祖父で家庭を回したそうです。

 

 

父が家事を行い、祖父は朝から晩まで畑仕事をして生きていくのがやっとの生活だったそうです。

 

祖父はもともと小規模農家でしたが父を大学にやるために50過ぎて鉄工所へ勤めはじめ、原付で毎日1時間かけて通勤したそうです。

 

祖父が車に乗り始めたのは父が大学卒業後だそうです。

私は19歳で車を与えられましたが恵まれていますね。

 

 

葬儀の間は祖父との思い出を思い返していた。

忘れないように書き起こしておこうと思う。

 

*********

 

僕が小学生にあがるときに、地元にある百貨店でランドセルを買ってもらった。おじいちゃんは金持ちだもんねーっていってた。

帰りにロッテリアで海老カツバーガーを食べた。こんなに美味しいものがあるなんて知らなかったと言ってた。

 

まだ保育園生のころ、田んぼで泥だらけで遊んだ時に、友達からもらったヒーローショーの半券がボロボロになってしまって僕は泣いた。祖父には男は強くないといけない、泣いたらいけないって言われた。

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軽トラの荷台に乗せてもらって兄弟で田んぼや畑に繰り出した。

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祖父の運転する原付の足元に乗せてもらって田んぼや畑やスーパーに繰り出した。

 

Jリーグブームの時はオーレーオレオレオレーっていうと元ネタを知らないだろうに「レオレオレオー」って言いながらサッカーボール蹴って遊んでくれた。

 

爺ちゃんより背が高くなると お!爺ちゃんより背が高い人!って言われた。

 

「偉くならなくていい、人に恨まれるような人間にはなるな」

が口癖だった。

 

ボケてからもお金を二重で支払うようなボケかたをしていた。

 

小学生の頃の宿題で電話で稲に何個お米がなるのかを教えてくれた。

 

やすか酒がうまかといって太閤ばかり飲んでいた。 

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社会人になってから敬老の日にお菓子やフルーツを贈ってたのを、痴呆が始まり、どうせわからないからと途中でやめてしまった。これは今となっていは後悔している。

 

最後にあったのは亡くなる1週間前、あまり話してもわからないからとなにも話さなかった。これも後悔。

 

家の中に小銭が大量に入った缶があった。

小学生の頃に、最初に「50円持っていっていいぞ」って言われて、「500円の言い間違いだった、500円持って行っていいぞ」って言われて嬉しかった。

 

海に行ってエビを見つけたらそのまま食べてた。

 

そんな祖父だった。

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*********

 

そんな思い出。

 

祖父の葬式から帰ると私はインフルエンザに感染した。

私はインフルエンザには生涯感染しないと思っていたがどうやら違ったようだ。

死ぬほどつらかったが、一番つらかったのは身重の妻にもインフルエンザをうつしてしまったことである。

 

その後、妻にインフルエンザをうつしたのちに1週間ほどして娘が生まれた。

母子ともに健康でありましたが本当に大事にいたらなくてよかった。

元気な子供を産んでくれて妻には本当に感謝である。

 

【2月】

上の子供との父子二人の生活が始まる。

 

朝5時半に起きて子供にご飯を食べさせる。

着替えさせて保育園に行って、定時に仕事を終え、子供を迎えに行って、美味しくないご飯をつくってあげて風呂に入れて寝かしつける。

 

短い期間だったがいい経験ができた。

この頃から新型コロナウイルスがなんだかヤバいんじゃないかと危険視され始める。

 

私は友人の結婚式を直前に辞退した。

丁重に謝罪し、現金書留で祝儀を贈ったら、引き出物一式+金券が返ってきた。逆に気を使わせてしまった。

かんじくん、本当に申し訳ない。

 

3月以降はまた書こうと思う。