さて、2020年はあっというまに半分過ぎてしまっておりますが、振り返りを続けたいと思う。
【3月】
下の子供が生まれてから私は単身で生活、奥さんと子供は奥さんの実家で生活するというスタイルが2から3月までと続きました。
その間私は、毎日仕事後に奥さんの実家にお邪魔して毎晩晩御飯をご馳走になっていました。
7時から晩御飯で、8時前から子供と9時前まで遊んで9時の子供の歯磨きが終わったタイミングで自分の家に帰るというタイムスケジュールが続きました。
奥さんの実家にはいつも頼りっぱなしで助けてもらっています。有難いです。
上の子も下の子もどんどん成長していく姿が見れて嬉しいです。
コロナ禍の中で自粛自粛でしたが日々の嬉しい瞬間でした。
あとは社内の昇進試験を受けました。試験の準備をひたすらやっていました。
上司でもないのですが、試験資料の添削を依頼した管理職の方がものすごく面倒見が良い方で毎日毎日数時間レベルで時間を割いて指導してくれました。
おかげで見違えるようにいい発表ができ、試験も無事に合格できました。
その方には試験後に日本酒をお礼に贈りました。
本当はお礼の飲み会を開きたいのですがコロナ禍の中でなかなか飲み会を開催できず、隙をみて実施できるタイミングもあったのですが、もう試験から数か月経過して後悔ともんもんとした気持ちが続いています。
【4月】
4月もコロナ禍の中で何もすることがありませんでしたが、子供と奥さんが実家から帰ってきて一緒に生活するようになりました。
朝起きて、子供の寝顔が見れるっていうのはいいものだなと思います。
保育園も4月の頭に1-2日登園しただけでそれから全然登園しなくなって、奥さんは乳飲み子かかえて3歳の元気いっぱいな子供両方相手して大変だったろうなと思います。
感謝。
それから交通事故にあいました。
会社から退社している最中です。
30キロ制限の住宅街の道を30キロで走行していると一旦停止を無視したvitsがロケットのように側道から飛び出してきて、納車半年の私の新車の側面に突っ込んできました。
私は車ごと反対車線に吹き飛ばされ、気が付くと超高速でワイパーがまわっていました。
社内はホルダーに置いていた珈琲がひっくり返りびしゃびしゃ。
シートベルトはだらりとのび
煙をあげながら車は変な音と匂いを出していました。
事故後にまず頭に浮かんだのは会社のこと。「報告しなきゃ、怒られるなぁ」って思ってました。
救護義務があるので本来は事故の状況確認して、2次事故の防止をしたり、相手方のケガの有無を確認したりしなければならないのですが「あっちゃー…会社に言わんといかんやんけ…」でした。
飛び出してきたvitsを見るとよぼよぼのお爺ちゃん。
話をしても何も通じない無敵の人でした。
あなた一旦停止無視ですよ!って言ってもポカーンとして、「さむいなぁ」と笑顔で私の肩に手をまわしてきました。
警官が来てからも「車が動かんくなったんだ」って警官に言ってましたがエンジンがかかっていないだけでした。
警察官にエンジンをかけてもらって「エンジンかかってないだけですよ」って言われてそのまま走って帰ってました。
一方私は自走できない状態だったのでレッカーを手配。
私の修理代は140万超、過失割合は向こうが圧倒的に多いですが、保険適用する限り手出しの痛みは過失割合には関係がありません。過失割合は保険屋が出す金額に影響が出るだけで私には何も関係ありませんでした。
一定規模以上の事故して保険で適用するなら過失割合なんてどうでもいいだってことを学びました。つまりどんな状況で事故が起きようとも被害を受けたらいかんのだ。
色々調べていくうえで、保険や事故にはいろんな対応があるのだということを知って、12万程度手出しが発生しましたが上位互換の新車が手に入ったので結果オーライ。
とても勉強になりましたって結論で締めくくることができました。
しかし、ケガが無くて本当に良かったとそう思いますし、奥さんや子供が同乗してなくてよかったって思います。