男のEXECUTIVE~SUPER DESTINY BOY 2~

仕事のできない三十路サラリーマンが思ったことを綴っていくブログです。

 新型コロナウイルスの弊害(トイレ問題)

早速ですが、日々コロナの洗礼を受けています。

 

経済の衰退?医療崩壊?アジア人への偏見による不平等ジャッジ?

違います。

 

誰も書いてないし誰も喋ってないけれど、きっと誰もが思っているのではないかという事を今日ここで述べます。

 

それはトイレの問題です。

 

英首相がハッピーバースデーを2回歌うくらい手を洗おうなんて言ってまして。

私もそれくらい手を洗っておりましたけれども。これがちょっと困ってるんです。

news.yahoo.co.jp

 

この問題は会社などの日々の決まったコミュニティの中で発生します。

 

会社でトイレ(大)に行ったときに、(小)なんてみんなひっきりなしにしてるわけなんで、人と会うんです。

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そのあと私はトイレの個室に篭るんですが、さっき会った人が全然出て行かない。

何をしているかっていうとハッピーバースデー3回分くらいの時間をかけて手を洗っている訳です。

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この間、私は息を殺してじっと耐え忍ぶしかないわけです。

 

何故か。

音を聞かれたくないからです。

職場で日々顔を合わせる間柄なわけで、「爆発系だな」とか「粘質系だな」とか「ラッパみたいな音だな」とか相手に知られるのが嫌なのです。ものすごく嫌なのです。

 

また困ったことにトイレ(大)っていうのはもよおした時が出すときなんです。

(小)みたいに「行っとくか」ってことで映画上映前とか高速道路のサービスエリアみたいに途中開放ができません。

 

ない時は出ないし、ある時は出したいのです。

 

だから僕は「出したい」を我慢しながら何回続くかわからないハッピーバースデーの終わりを願って耐え忍ぶのです。

 

なんだそれくらいと思うかもしれません。

しかしながら私にとっては重大な問題なのです。

 

手洗いはコロナ禍の現代において圧倒的正義。

代案はありません。

皆さん引き続き感染拡大防止のための手洗いうがいは徹底ください。

 

 

ただ、今回は弱者の心の声を投稿させてください。

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追伸

 

 小学生時代、個室利用者が犯罪者扱いされていた頃のこと。

個室利用者迫害問題に対し、当時の解があったことを思い出しました。

①うんこ警察の非番の時間帯を利用

 →授業中に保健室に行くと言いうんこ

②うんこ警察の管轄外のエリアでうんこ

 →視聴覚室近くのトイレ、職員トイレ

 

上記に何か解決の糸口があるような気がしました。

2020年 すべて経過してしまってからの振り返り【11.12月の振り返り】

【11月】

早いもので2021年になってしまった。

あまり覚えていないので写真を振り返ると楽しい日々を過ごしていたようだ。

 

11月もこれまで同様に公園や遊園地や博物館、科学館などに感染症対策を取りながら遊びに行っていたようだ。

子供の楽しそうな写真が沢山残っていて見ていて僕も楽しくなる。

写真や動画はいいものだと改めて思う。

過去に戻ることはできませんが、見ることで思い出すことができるし、感じることができる。

 

下の子供が恐れ知らずで立てないのに立ってズッコケるを繰り返していたためヘッドギアをしている写真だとか

上の子供がお風呂で寝たふりをしている写真だとか

公園でストライダーを練習している写真だとか

練習帰りの車の中で爆睡している写真だとか

 

親からすると子供の成長が思い返すことができるいい写真が多い。

 

初めて上の子が寝がえりをしたときや

立ち上がった時なんかは

それはそれは嬉しかったけれど

それが何カ月の時かと聞かれても覚えていない。

 

でも写真を見返すと思い出すのだ。

写真は偉大だ。

 

さて、11月の話。

ハロウィーンパーティーとか保育園の秋祭りとかイベントもそれなりにあり

イベントがない週も暇なく遊びまわっていたようで

楽しい写真が沢山残っていた。

子供の笑顔と成長は本当に妻のおかげと頭が下がる。

有難う御座います。

 

【12月】

12月は沖縄旅行に出かけた。

正確には11月末に出かけ、12月初旬に大阪に帰ってきた。

この旅行もすべて妻が準備して妻が手配してくれた。

私がやったことは会社の休みをとったことと現地での運転だけだ。

感謝である。

 

go toキャンペーンというものを利用し、三泊四日素敵なリゾートホテルに格安で宿泊させてもらえた。しかも3.5万円の現地で使用できる金券付きである。

食事もホテルで無料で食べれたり、予約時の特典なのか観光地も何故か無料だったりと現地でお金はほぼ使っていない。文字通り小銭くらいしか使わなかった気がする。

 

ご飯も美味しいし海も山もきれいだし最高でした。

沖縄に行って思ったのは、気候風土気質が全然違うなということ。

海外みたいでした。

看板が英語で標記されいたり

その辺に生えている植物をみても熱帯の植生だったり

湿度や気温ももちろん本州とは全然異なるし

食べ物も違うし

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歴史が違えば

サイパンやグアムや東南アジアの島々、北方領土なんかも

日本領土だったかもしれないのだよなぁと思い

国内旅行でそれらが選択肢に上がるような世界を想像してしまいました。

 

沖縄での旅行は

1日目

移動日。恩納村のホテルでソーキそばを食べてウキウキする。

ホテルでケーキ食べたりしてウキウキする。

飯美味い酒美味い嬉しい。

 

2日目

名護市で植物園や恐竜のテーマパークに行ってウキウキする。

現地人の食堂でソーキそばを食べてウキウキする。

美ら海水族館で楽しむ。

飯美味い酒美味い嬉しい。

 

3日目

植物園や動物やらなんやらがいるテーマパークに行って楽しむ。

娘がリスざるに襲われてギャンギャン泣いていたのもいい思い出。

ホテルで動物やイルカを飼っているので触れ合って楽しむ。

飯美味い酒美味い嬉しい。

 

4日目

楽しい日々も最終日。

移動。

別れを惜しみながら帰る。

移動だけでも楽しい。

子供が飛行機の窓から外を眺めて目をキラキラさせているのを見るだけでも最高のイベントである。

行きと帰りでそれぞれANAJALを使ったのだがそれぞれサービスが素敵でいい。

子供もグッズを貰ってルンルンしてる。

楽しい4日間だった。

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奥さんありがとう。

 

沖縄の話は終わり。

 

沖縄から帰ってきても毎週遊びまわっていたようだ。

滋賀に琵琶湖博物館という博物館があるのですが、ここの年パスを購入しました。

ここがなかなかいいのです。

展示が多く丁寧で大人も子供も飽きずに見ていられます。

また行こうと思います。

 

あと平日にお休みをとり京都市動物園平安神宮にも行ってました。

借り切りみたいな状態でした。

 

 

あと12月というとクリスマス。

子供たちは祖父母にクリスマスプレゼントを買ってもらったりしてニコニコしていました。

クリスマス当日はサンタさんがやってきてケーキを渡してくれて、食べて寝る。

 

朝起きたら枕元にサンタさんからのプレゼントがおいてあって

そんなときは子供も寝起きが良い。

 

年が明けた今もクリスマスでのプレゼントは楽しそうに遊んでくれています。

 

そんな感じの年末でした。

 

色々自粛自粛の一年でしたがなんだかんだで楽しい一年でもありました。

しかしながらお盆や年末年始の帰省や、結婚式等々の参加も自粛し、飲み会もほぼ開催していないことを思い返すとやはりもっと快活に動ける昔の状態に戻りたいと思います。

 

2021年は事態が収束することを祈っています。

2020年 ほぼすべて経過しての振り返り【8.9.10月の振り返り】

【8月】

相変わらず人との濃厚な接触を避けるような日々を過ごしてはいるが写真を振り返ると楽しい日々を過ごしていたようだ。

 

家のベランダでプールを出してくつろいでいたり

子供と料理をしたり

ピクニックをしたりハイキングをしたり、博物館に行ったりひまわり畑に行ったり、道の駅を巡ったり、牧場に行ったり、

 

人が密集しないようなところに遊びに行ったりしていたようだ。

 

お盆は帰省せずに大阪で過ごした。

お盆に帰らなかったことは生涯初めてかもしれない。

ちなみに正月に帰らなかったことは大学時代にある。

余談だが、大学時代は微生物の研究をしていたのだ。微生物の世話があるため正月も微生物のお世話をしていて帰れなかった。

毎日毎日微生物である。

 

大学院は別の大学院に進学したが、もしかしたらこれが原因だったかもしれない。

 

下の娘が一人で座れるようになったのもこの時期のようだ。

ハイハイをしながら前進できるようになったのもこの時期だ。

アンパンマンのおもちゃをめがけて前に進んでいくムービーが残っていた。

 

実家の父がサードカーのワゴンRを敗者にしてnboxを購入していた。

私も大学院のときに1-2カ月程度だったかこのワゴンRにはお世話になった。

さらばワゴンR。ありがとうワゴンR

 

【9月】

相変わらず自粛中だが、人との接触を避けて活動に動き回っていたようだ。

博物館、昆虫館、公園、自然園、遊園地などなど毎週どこかに出かけて遊びまわっていたようだ。

 

写真を振り返る限り一切の悲壮感はない。

むしろ非常に活動的で快活である。

 

もちろん人との接触は避け

マスク着用で

うがい手洗いは徹底している。

 

それから9月は瀬戸内海の三ツ星のホテルに宿泊した。

go toキャンペーンというものをやっていてくれたおかげで

いいホテルにそれなりの価格で宿泊できたのだ。

 

景色は綺麗だし

ご飯は美味しいし

ホテルは綺麗だし

いう事なしだ。

 

岡山倉敷の美観地区にも行った。

過去に一度行ったことがあるが、昔は就職活動中に行ったので

飲んで帰ってきて夜に倉敷駅にたどり着き

寝て終わったか、そのまま新幹線で帰ったかよく覚えていない。

たしかJFEスチール様の懇親会かなにかへの参加だったかと記憶している。

 

今回は倉敷を十分満喫できた。

スイーツを堪能し

景観を堪能し

ミシュラン二つ星のソバ屋で舌鼓を打つこともできた。

 

非常に美味しかった。

 

おもちゃ王国にも行った。

正直私が興奮するようなものはここにはないけれど

子供が興奮して楽しそうにしているのを見ると嬉しい。

 

そして子供がひらがなのパズルや三次元的に組み立てるおもちゃなど

今まで遊べなかったおもちゃを使って遊べているのを見ると

成長しなぁと嬉しくなる。

 

改めて日々子供の面倒を見てくれている妻や妻実家の両親、保育園の先生方には感謝である。

 

【10月】

10月は近くの遊園地で年パスを購入しました。

このへんからよく行くようになりました。

 

あと、昔川で捕獲したサワガニが脱皮をし

甲羅が柔らかいタイミングで同居していたカニ達に乱暴され手足を無くしてしまった。

 

娘が手足を無くしたカニを「なりいちゃん」と名付けた。

水槽から食卓の机に移動され集中治療を施すこととした。

胴体だけになったカニにピンセットで毎日ご飯を与えていたのだが

一週間程度で亡くなってしまった。

カニさんゴメンナサイ。神社に埋めに行った。

 

 

あと10月は娘の運動会があった。私が草むしりを手伝った公園で運動会が開催。

コロナ禍ということもあり

これまで複数園で実施していた運動会を個別開催し

子供の出し物の時以外は運動場付近への入場が禁止されました。

 

毎年人であふれかえり全然子供が見えませんでしたが

これは個人的には大助かりでした。子供の参加する競技しか見なくていいですし

子供の競技は確実に最前列で見ることができました。

可能ならコロナが収まったあともこんな運営をしてほしいと思いました。

 

あと保育園や義理実家の畑から娘が沢山芋を掘ってきてくれました。

娘が掘り、妻が作る芋ご飯は甘くてほくほくでとても美味しかったです。

 

なんだかんだで毎週遊びに行っており

感染拡大に注意しながらも楽しい日々を過ごしていたようです。

最近メガネが落ちてくるなぁと思っていたらデコが広がっているだけだった。

お題の通りである。

デコが広がっている。

それだけではない。

密度も下がっている。

無常である。

 

昔から思っていることが有る。

 

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映画内で煽ったりドヤったりしている囚人は何故

柵に手をかけているんだろう。

 

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決まって叩かれて指砕かれてるよなぁ。。。

 

 

アホなんだろうなぁ。。。

ケツ洗い汁は嫌だ

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会社でトイレの個室入ると、便座のお尻側がべちゃべちゃに濡れていることが2回に1回くらいあります。

これって十中八九ウォシュレットの水だと思うんですけど、座るの嫌だから毎回拭き掃除しているんですよね。

 

もうね、なんでこんなマナーの悪い人がいるんだろうって憤慨しています。

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こうやって座ったらいいやん。

 

 

どうせこうやって座っているんやろ!?

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そんでこんな感じでケツ洗い汁を巻き散らかしてるんやろ?

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勘弁してよもう。

 

100歩ゆずってケツあげてウォシュレット使ってもいいよ。

拭いてちょうだいよ。

 

嘔吐下痢の呪いをかけておいた。

おろおろおろー。

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しゃー。

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2020年 半分経過しての振り返り【7月の振り返り】

引き続き2020年の出来事を振り返ります。

【7月】

自身の34回目の誕生日を家族に祝ってもらう。

勿論それ自身も嬉しいが子供が楽しそうなのが一番うれしい。

机の上に所狭しと並ぶ妻の料理

娘にハッピーバースデーの歌を歌ってもらい

誕生日ケーキのロウソクの火を吹き消してもらい

「ちょっと多めにクリームあげる」っていうと目をキラキラさせて喜ぶ娘の姿を見る。

いいものである。

 

東京で働く同期が大阪に来るという事で一緒に遊んでもらうことに。

ちょっと軽くお茶をしてから吊り橋を渡りに行くことに。

気の置けない仲。同期というものはいい。

自然の中に身を置くということもいい。

同期との話で沢山の刺激を受けた。

久しぶりにバカ笑いをした気がした。

入社当時と比べ付き合いの頻度が落ちてしまったが

また是非遊んでもらいたい。

 

猛暑が続く中、水遊びも沢山した。

家のベランダにプールを設置して水遊びをしながらジュース飲んで

居間のテレビで映画を流しながらまったりした時間を過ごした。

川にも何度も遊びに行きました。

 

7月末には九州の実家に帰省した。

お盆は帰省が困難になるのではないかと考えたためである。

移動日2日、滞在3日の合計5日の旅。

不在中、仕事の対応をいただいた先輩社員への感謝の念が堪えない。

 

移動日

行きはフェリー。

フェリーのスイートルームと言うものを使用したが、なかなかいいものである。

それなりに広く部屋風呂もある。

感染症への対策として大浴場や食堂の利用は極力避けたため、部屋で弁当を食べてお酒を飲んで風呂に入って寝たら九州についていた。

良い。

 

帰省一日目

実家では父と母が孫と会って終始ニコニコ楽しそうにしてくれていたので良かった。

家の中でシャボン玉で遊んでくれたりと激甘である。

祖母の家に行く。年始に祖父が亡くなってから一人暮らしである。

さぞ意気消沈しているかと思ったが、それなりに元気そうだった。良かった。

父が野良仕事用にショベルカーを購入していたのだが娘と僕でショベルカーを操縦して遊ぶ。楽しそうである。良い。

夜は旅館で晩御飯を食べる。

一個6000円もするようなアワビをどんどん頼む父。

全て美味しかったが、量が多すぎた。

満腹。幸せ。

 

滞在2日目

母が午前中は仕事だったので市場に行って買いものついでに昼ご飯の弁当を購入。

たしか海鮮丼だったと思う。

昼ご飯を食べてから父と母と僕と妻と娘二人で九十九島動植物園に行きました。

いい写真が沢山撮れた。良かった。

この年になると僕が楽しいことも嬉しいが、人が嬉しそうなのが嬉しい。

父と母が孫と遊んでいてうれしそうなのが嬉しい。

娘が爺婆に甘やかされて嬉しそうに走り回るのを見ても嬉しい。

段取りしてくれて協力してくれている妻には感謝である。

夜ご飯は実家でみんなで食べた。

 

滞在3日目

最終日のため家でゆっくりした。

娘を預けて私たち夫婦はケーキを買いに行ったのだが桃のケーキがなかなか美味しかった。

家に帰ってきてびっくりしたのだが、僕らが買い物に行っている間に娘がウンコをしていたそうだ。

安心できる場所でしかなかなかウンコをしない娘が、爺にトイレに連れて行ってもらってウンコをしたらしい。ちょっと嬉しい感じ。

 

昼過ぎに実家を出る。

楽しい三日間だった。ありがたや。

 

帰りに実家近くの市場により食材を山盛り購入する。

 

高速道路を休憩をとりながらエッチラオッチラ走る。

夕方には広島に到着。

今回は高速道路のSA内にあるホテルに宿泊。

広いわけでもきれいな訳でも美しいわけでもない、ただ風呂入って寝るだけの空間。

食事はSAで取る。

1人なら車で寝ていたなと思うが家族なら泊まるのもあり。

当然のようにアルコールは置いていなかった。

 

移動日

翌日、連休最終日。広島のSAを出て、とことこ走る。

昼には大阪に到着。

片づけや洗濯などをやりながらゆっくり過ごす。

実に楽しい旅行になった。

 

講演や解説系の音源をiPhoneに沢山いれており

運転中に聞けたのは退屈しなくて良かった。

 

家についた翌日くらいに実家から市場で買える肉や魚や加工食品などがたくさん届いた。そこからしばらくは毎日贅沢な食材を使った食生活をおくることができた。

昔は干物やもろみなんて好きじゃなかったのに、体が欲しているのか、美味くてしょうがない。

 

幸せ。

 

7月31日は下の娘のハーフバースデーだった。

このころは下の娘もよくご飯を食べるようになり、ずりばいも上手になってきた。

そしてよく笑う。

上の娘にフルーチェを作ってもらってみんなで食べた。

美味しかった。

良い。

 

かわいい。

2020年 半分経過しての振り返り【5.6月の振り返り】

引き続き2020年の出来事を振り返ります。

【5月】

4月から緊急事態宣言と言うものが発令しており、ずっと自粛しながら生活をしていました。在宅勤務にも疲れが出てきておりました。在宅勤務をはじめた当初は「通勤時間が無くなっていい」「家族との時間が取れる」などといった感想があったが、自宅で業務をするうえのでストレスが膨れ上がり、息苦しさともどかしさと感じながら過ごしていました。

 

そんな中でも子供が保育園にも行けず自宅で過ごしているんですが「仕事中は部屋に入ってきたらダメ」っていう言いつけを守り、妻が遊び相手をできたい時でも我慢して一人で遊んでくれているのを見ると子供の成長を感じました。

そんなわけで我慢させてしまった分、業務後は子供と家の中で目一杯遊んであげたり、周辺を散歩をしたりして過ごしました。

 

5月のGW明けには緊急事態宣言も解除されました。

このタイミング逃してなるものかと

下の子供の「お食い初め」と「お宮参り」を超速で済ませました。

お食い初めは近親で自宅で。

お宮参りも最寄りのこじんまりした神社で貸し切りでやりました。

 

神様への挨拶が数か月遅れてしまいましたがなんとか済ませることができて良かったです。0歳児の本人は何もわからないと思いますが、後で自分だけお宮参りをしてないとかなったらかわいそうだし、何よりけじめであり、日本の伝統行事を実施するのは大きな意味があるのである。本人のためにも親自身のためにも、そして写真を楽しみにしてくれているであろうじいばあのためにも。

 

 4月から保育園はしまっており、自宅保育が続いていたが遠足と言う名の園の最寄りの公園に集まって遊ぶという短時間のイベントが開催されました。

 

粋だねぇ。

 

奥さんが可愛いデコ弁当を作って娘に持たせていた。

娘も1カ月以上親族以外と会っていないので久しぶりに会える先生や友達との遠足に小躍りして出かけて行きました。

 

大変な時期だったが、そんな中でも日常に幸せを感じることができた。

全部奥さんのおかげだと思う。ありがたい。

 

【6月】

相変わらず警戒はとかれないけれども、徐々に出社して会社で仕事をしても良い雰囲気になってきた。保育園も登園可能になっていき、外食するようなことも増えたし、外に遊びに行くことも増えた。

写真を見返すと毎週末、大きい公園や植物園、動物園、山や川などに遊びに行っていた。

なるほど、この辺から徐々に日常に戻ってきたのか。

下の子が腰が座ってきて一人でお座りができるようになっていた。

成長って早い。

 

ちなみにこのときに川で取っていたサワガニを3匹飼い始めた。

なかなかかわいい。

2020年 半分経過しての振り返り【3.4月の振り返り】

さて、2020年はあっというまに半分過ぎてしまっておりますが、振り返りを続けたいと思う。

【3月】

下の子供が生まれてから私は単身で生活、奥さんと子供は奥さんの実家で生活するというスタイルが2から3月までと続きました。

その間私は、毎日仕事後に奥さんの実家にお邪魔して毎晩晩御飯をご馳走になっていました。

7時から晩御飯で、8時前から子供と9時前まで遊んで9時の子供の歯磨きが終わったタイミングで自分の家に帰るというタイムスケジュールが続きました。

奥さんの実家にはいつも頼りっぱなしで助けてもらっています。有難いです。

上の子も下の子もどんどん成長していく姿が見れて嬉しいです。

コロナ禍の中で自粛自粛でしたが日々の嬉しい瞬間でした。

 

あとは社内の昇進試験を受けました。試験の準備をひたすらやっていました。

上司でもないのですが、試験資料の添削を依頼した管理職の方がものすごく面倒見が良い方で毎日毎日数時間レベルで時間を割いて指導してくれました。

おかげで見違えるようにいい発表ができ、試験も無事に合格できました。

その方には試験後に日本酒をお礼に贈りました。

本当はお礼の飲み会を開きたいのですがコロナ禍の中でなかなか飲み会を開催できず、隙をみて実施できるタイミングもあったのですが、もう試験から数か月経過して後悔ともんもんとした気持ちが続いています。

 

【4月】

 4月もコロナ禍の中で何もすることがありませんでしたが、子供と奥さんが実家から帰ってきて一緒に生活するようになりました。

朝起きて、子供の寝顔が見れるっていうのはいいものだなと思います。

保育園も4月の頭に1-2日登園しただけでそれから全然登園しなくなって、奥さんは乳飲み子かかえて3歳の元気いっぱいな子供両方相手して大変だったろうなと思います。

感謝。

 

それから交通事故にあいました。

会社から退社している最中です。

30キロ制限の住宅街の道を30キロで走行していると一旦停止を無視したvitsがロケットのように側道から飛び出してきて、納車半年の私の新車の側面に突っ込んできました。

私は車ごと反対車線に吹き飛ばされ、気が付くと超高速でワイパーがまわっていました。

 

社内はホルダーに置いていた珈琲がひっくり返りびしゃびしゃ。

シートベルトはだらりとのび

煙をあげながら車は変な音と匂いを出していました。

 

事故後にまず頭に浮かんだのは会社のこと。「報告しなきゃ、怒られるなぁ」って思ってました。

救護義務があるので本来は事故の状況確認して、2次事故の防止をしたり、相手方のケガの有無を確認したりしなければならないのですが「あっちゃー…会社に言わんといかんやんけ…」でした。

 

飛び出してきたvitsを見るとよぼよぼのお爺ちゃん。

話をしても何も通じない無敵の人でした。

あなた一旦停止無視ですよ!って言ってもポカーンとして、「さむいなぁ」と笑顔で私の肩に手をまわしてきました。

 

警官が来てからも「車が動かんくなったんだ」って警官に言ってましたがエンジンがかかっていないだけでした。

警察官にエンジンをかけてもらって「エンジンかかってないだけですよ」って言われてそのまま走って帰ってました。

 

一方私は自走できない状態だったのでレッカーを手配。

私の修理代は140万超、過失割合は向こうが圧倒的に多いですが、保険適用する限り手出しの痛みは過失割合には関係がありません。過失割合は保険屋が出す金額に影響が出るだけで私には何も関係ありませんでした。

一定規模以上の事故して保険で適用するなら過失割合なんてどうでもいいだってことを学びました。つまりどんな状況で事故が起きようとも被害を受けたらいかんのだ。

 

色々調べていくうえで、保険や事故にはいろんな対応があるのだということを知って、12万程度手出しが発生しましたが上位互換の新車が手に入ったので結果オーライ。

とても勉強になりましたって結論で締めくくることができました。

しかし、ケガが無くて本当に良かったとそう思いますし、奥さんや子供が同乗してなくてよかったって思います。

2020年 半分経過しての振り返り【1.2月の振り返り】

2020年は新型コロナウイルスってやつで自粛ばっかりしていたので各月の思い出がなかなか無いのにあっという間に半分以上経過してしまった。

 

振り返りたいと思う。

 

【1月】

正月、奥さんは身重だったため単身で実家に帰る。

実家での正月の集まりで両親や祖父母や親せきと会う。

祖父は痴呆が進んでいたけど、沢山ご飯を食べれていた。元気だった。

祖父がトイレに行く際に私が肘をもってトイレまで連れて行った。

しっかり便器を狙ってトイレができていた。

皆が帰った後に父が「誰かおしっこをこぼした人間がいる」ってトイレ見て言っていたけど祖父ではない、私が見ていたので間違いない。

その日祖父がトイレに行ったのは一回だけ。

おそらくこぼしたのは親戚のおじさんだろう。

数日実家を満喫し大阪の自宅に帰る。

 

数日後。

 

子供をお風呂に入れているときに、脱衣所においてあるiPhoneの着信音がなった。

お風呂から上がりiPhoneを見ると「おじいちゃんが亡くなりました」と父からラインが入ってきていた。

 

翌日午前中だけ仕事をして午後から実家に向かいました。

九州に付くと兄夫婦が車で迎えに来てくれて、そのまま祖父の家に向かいました。

どうやら兄夫婦は前日から葬儀の準備で祖父母宅の片づけ等で働きっぱなしだったようです。有難い。

車中で祖父の死因を聞く。

ヒートショックだったらしい。

祖父がお風呂に入り、祖母は晩酌のあてである刺身を準備して着替えを持って風呂場に行くと浴槽内で亡くなっていたそうです。

発見当時、浴槽内に水はなく、おそらく暴れて栓が抜けてしまったようです。

祖母も動転していたのか「祖父が浴槽内で動かないからダメかもしれん」と父に電話をしたらしいですが「俺より先に救急車やろ」って言われてそこで初めて救急に電話をしたようです。

救急車の中、また病院についてからも懸命な救命活動をしてもらったそうですが、発見が遅かったことと、高齢だったこともあり、助かりませんでした。

 

亡くなった当日の夜中、かけつけた兄夫婦が家の片づけをしているときに

「もういらないね」っていいながら祖父の常飲していた薬や、

晩酌のあてになるはずだった刺身を捨てる祖母が切なかったそうです。

 

 

祖母は後妻である。

この葬式を通して色々なことが聞けた。

 

父が子供の頃はまだ土葬文化で

家の近くの山に30.40も土葬の瓶があったそうだ。

父が子供の頃は神主の格好した先祖を遺体を埋めていたということです。

それを父が中学校1年〜2年生のときに全部掘り返して火葬し直して骨にしてお墓に納めたそうです。

瓶をコンクリートで蓋をした人は屍蝋状態で出てきたそうです。

 

 

祖父の妻は、父が高校生の時に亡くなったそうです。

父が学校で試験を受けている最中に先生から訃報をきいたそうです。

そのからは、高校生の父と祖父で家庭を回したそうです。

 

 

父が家事を行い、祖父は朝から晩まで畑仕事をして生きていくのがやっとの生活だったそうです。

 

祖父はもともと小規模農家でしたが父を大学にやるために50過ぎて鉄工所へ勤めはじめ、原付で毎日1時間かけて通勤したそうです。

 

祖父が車に乗り始めたのは父が大学卒業後だそうです。

私は19歳で車を与えられましたが恵まれていますね。

 

 

葬儀の間は祖父との思い出を思い返していた。

忘れないように書き起こしておこうと思う。

 

*********

 

僕が小学生にあがるときに、地元にある百貨店でランドセルを買ってもらった。おじいちゃんは金持ちだもんねーっていってた。

帰りにロッテリアで海老カツバーガーを食べた。こんなに美味しいものがあるなんて知らなかったと言ってた。

 

まだ保育園生のころ、田んぼで泥だらけで遊んだ時に、友達からもらったヒーローショーの半券がボロボロになってしまって僕は泣いた。祖父には男は強くないといけない、泣いたらいけないって言われた。

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軽トラの荷台に乗せてもらって兄弟で田んぼや畑に繰り出した。

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祖父の運転する原付の足元に乗せてもらって田んぼや畑やスーパーに繰り出した。

 

Jリーグブームの時はオーレーオレオレオレーっていうと元ネタを知らないだろうに「レオレオレオー」って言いながらサッカーボール蹴って遊んでくれた。

 

爺ちゃんより背が高くなると お!爺ちゃんより背が高い人!って言われた。

 

「偉くならなくていい、人に恨まれるような人間にはなるな」

が口癖だった。

 

ボケてからもお金を二重で支払うようなボケかたをしていた。

 

小学生の頃の宿題で電話で稲に何個お米がなるのかを教えてくれた。

 

やすか酒がうまかといって太閤ばかり飲んでいた。 

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社会人になってから敬老の日にお菓子やフルーツを贈ってたのを、痴呆が始まり、どうせわからないからと途中でやめてしまった。これは今となっていは後悔している。

 

最後にあったのは亡くなる1週間前、あまり話してもわからないからとなにも話さなかった。これも後悔。

 

家の中に小銭が大量に入った缶があった。

小学生の頃に、最初に「50円持っていっていいぞ」って言われて、「500円の言い間違いだった、500円持って行っていいぞ」って言われて嬉しかった。

 

海に行ってエビを見つけたらそのまま食べてた。

 

そんな祖父だった。

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*********

 

そんな思い出。

 

祖父の葬式から帰ると私はインフルエンザに感染した。

私はインフルエンザには生涯感染しないと思っていたがどうやら違ったようだ。

死ぬほどつらかったが、一番つらかったのは身重の妻にもインフルエンザをうつしてしまったことである。

 

その後、妻にインフルエンザをうつしたのちに1週間ほどして娘が生まれた。

母子ともに健康でありましたが本当に大事にいたらなくてよかった。

元気な子供を産んでくれて妻には本当に感謝である。

 

【2月】

上の子供との父子二人の生活が始まる。

 

朝5時半に起きて子供にご飯を食べさせる。

着替えさせて保育園に行って、定時に仕事を終え、子供を迎えに行って、美味しくないご飯をつくってあげて風呂に入れて寝かしつける。

 

短い期間だったがいい経験ができた。

この頃から新型コロナウイルスがなんだかヤバいんじゃないかと危険視され始める。

 

私は友人の結婚式を直前に辞退した。

丁重に謝罪し、現金書留で祝儀を贈ったら、引き出物一式+金券が返ってきた。逆に気を使わせてしまった。

かんじくん、本当に申し訳ない。

 

3月以降はまた書こうと思う。

2020年 半分経過しての振り返り【2020年目標の途中経過】