男のEXECUTIVE~SUPER DESTINY BOY 2~

仕事のできない四十路サラリーマンが思ったことを綴っていくブログです。

2023年を終えての振り返り

はやい。非常にはやいもので2023年も終わってしまいました。

1年間を振り返りたいと思います。

 

[以下、過去の振り返り記事]

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[2022年の振り返り]

■2023年1月

 今年も2023年の正月同様に実家に帰りませんでした。

帰りたかったですが以下の事情で帰りませんでした。

①実家に親族勢ぞろいした場合に世帯分の部屋がなく、各家庭の奥様方で気を遣う合戦が始まるであろうという危惧

➁正月に規制しても特別施設も開いていないため、寝正月となるだろうという危惧(時期をズラして祖父母と孫でどこか施設に遊びに行ったほうがいいだろうという考え)

帰省ラッシュの混雑に子供が耐えられないだろうという危惧

結果、帰らなくて正解だったと思っています。

 

私が感染第一号で家族ほぼ全員新型コロナウイルスに感染してしまったからです。

しかも1月2日に我が家で妻側の親族の集まりを行ったのですが、ゲストにも感染させてしまいました…涙

新型コロナウイルスは2日程度で解熱して動けるようになったのですが、発熱中の2日間は起き上がることもできず二階の誰も使っていない子供部屋を隔離部屋としてただただ寝ていました。

上記カレーです。新型コロナウイルスの症状のひとつとして味覚嗅覚がなくなるというものがありましたが、全く味がせず何食べているかわからずに衝撃だったことを覚えています。

幸か不幸か、時差感染をして私→妻→義母と2日遅れくらいで感染をして順番に隔離部屋に収監されて生活しました。(娘も感染したと思うのですが一瞬で治って走り回っていた気がします。子供は元気である。)

※義母は義理実家の義祖母、義父にうつさないために感染期間中は我が家に泊まっていました。

 

義母にも感染させてしまったために非常に申し訳なく思っていたのですが、義母は義理実家から我が家に来てくれていた期間を楽しかったと言ってホテル代と言ってお金まで置いていかれました。本当に心苦しい思い出です。

 

この時期、仕事は機械を買うための試験研究と資料作成と報告と提案ばっかりやっていました。

 

あとプライベートとしては保育園で行われた娘の誕生日会で手品を披露してきました。

付け焼刃でしたが子供たちには喜んでもらえたと思っています。

人に喜んでもらえるというのはうれしいものです。

毎日寒いので室内遊園地とかに頻繁に行っていました。

寒すぎてベランダのメダカとエビの水槽も毎日凍っていました。

1月は上の子供も下の子供も誕生日です。

6歳と3歳になりました。

大きくなりました。

保育園で一回、家で上の子と下の子で2回、義理実家で上の子と下の子で2回

合計5回も誕生日をお祝いしてくれるので子供たちは大喜びです。

 

 

■2023年2月

 2月は上の娘のECCの終業試験がありました。1年に1回あり、リーディング、リスニング、スピーキングで全2日程、スピーキングは車で1時間の会場まで行かなければいけない試験です。

娘は一年間とっても英語の勉強を頑張って一番上位の称号をもらっていました。

わが子ながら本当に頑張っていると感心します。

英語の試験帰りにご褒美としてホームセンタによって娘の友達を購入することに。

2匹は金魚釣りで釣ってきた金魚、一匹だけペットショップで購入したそれなりの金額のコメット。ほぼ同じに見えますね。

ところが、下の娘が水槽に水に溶けるおもちゃを入れてしまってあっという間に2匹亡くなってしまったのですがコメットだけは生き残りました。

強い品種なのでしょうか。

今ではずっと大きくなって元気に水槽の中を泳いでいます。

 

2月はディズニーランドに行ってきました。

本来は沖縄に行くつもりだったのですが現地のレンタカーがどうしても取れなくて急遽予定変更。陸路でディズニーランドとなりました。

関東では富士サファリパーク、ディズニーランドを満喫し、急遽声をかけた兄家族にも合流してもらって八景島シーパラで2家族で遊びました。(施設代をご馳走になってしまいました。感謝感激です)

以下は私が心に残っている写真です。

八景島でボートに乗った際の写真です。

1時間待ってやっと乗れたボートで上の娘を真ん中に乗せてしまったので奥に座った下の娘は全くハンドルに手が届かずに一瞬も運転できずにボート乗車時間中号泣していました。

体はベルトで固定されており席の移動もできずに上の子供が操縦している間、泣き続けてしました。監督する親として反省です。寒い中1時間待った下の娘に本当に申し訳ないことをしました。

仕事に関してはこれまた機械を買うための試験研究と資料作成と報告と提案ばっかりやっていました。

 

■2023年3月

暖かくなってきました。

メダカの水槽も緑が多くなってきました。

庭の野菜も青々としています。

四季をとてもよく感じます。

活性があがったメダカがなぜか水槽から飛び出るという事案が多発。

定期的にイリコが出来上がるという悲しい出来事が続きました。

そして、上の子供が卒園。

最初は毎日泣きながら通った保育園でしたが、友達も沢山できて、あっという間に卒園しました。

何度も入院する病弱な子でしたがすっかり大きくなりました。先生方にも妻にも義理父母にも娘本人にも感謝です。

 

仕事に関してはこれまた機械を買うための試験研究と資料作成と報告と提案ばっかりやっていました。

 

庭でとれたブロッコリーやキャベツが食卓に並びます。

良い。

 

■2023年4月

 4月。娘が小学生になりました。

桜の下でランドセルを背負って何枚も写真を撮りました。

本当に大きくなりました。

 

暖かくなってきたので屋外の大きな公園にもまた行き始めました。

春は良い。

 

写真を振り返ると上の娘とは二人でカラオケやダーツにも行っていました。

遊技場デビューです。娘はカラオケよりもダーツが楽しいようでした。

 

庭でとれた豆類が食卓に並びます。

春は良い。

 

■2023年5月

 子供が動物好きなので隙あらば動物に会いに行く。

ひたすらに動物を可愛がる。

 

動物だけじゃなく虫にも好かれてしまったのか自宅にハチの巣ができる。

蜂に恐怖感はないのでスリッパで退治する。

卵が各部屋に生まれていた。子供がいなかったら育ててみたかったと思う。

 

5月は兄2家族、実家1家族が我が家に集まってくれて4世帯による関西旅行が企画された。

皆さん忙しい中、遠くまでよく来てくださった。ありがたやありがたや。

 

1日目…

集合日。午前中は祖父母が長女の机を買ってくれる。ありがたや。

夕方から我が家で4世帯集まり晩御飯を食べる。飲む。

感想…子供たちが嬉しそうでよかった。

家族もそろって大変良かった。親族用に取った民泊の方が圧倒的に個性的な人で個人的にトラブルになる。いい思い出。

予約していた寿司が握られていない。スーパースピードで握ってくれてお詫びにお酒も貰う。いい思い出。

 

2日目…

4世帯で万博公園に行く。太陽の塔の中に入ったり。公園で遊んだり。大道芸人を観たりして楽しむ。

子供も疲れてきたので後半は体力をセーブして遊ぶ。帰りに最寄りの割烹屋さんで食事をして帰る。家に帰り花火をして就寝。

 

3日目…

解散日。最寄りの遊園地で遊ぶ。

昼前に長兄家族。昼食後に次兄家族が離脱。祖父母宅も4時ごろ解散。

皆さんこれから長旅が続くと思うと大変ですが我々は徒歩圏内に家があるので家に帰ってゆっくりさせてもらう。

毎回ですが楽しすぎて現実に戻るときにうちの子供は泣く。今回もお別れ嫌だとお別れ後に家で泣いていました。

東京から小中高の同級生が遊びに来てくれました。

関西でひたすら食べ歩きをして近況を語り合う。

お互いにアラフォーで年をとりましたが、旧友というのはとてもいいですね。

時間がたって、遠くに住んでいてもたまに連絡をくれるというのは有難いことです。

家族も大切ですが、友人関係というもの本当に大切にしたいとおっさんになって改めて考えさせられます。

■2023年6月

 6月は妻の誕生日。年休をとって料理をしました。

些細なことですが喜んでくれるのでありがたい。

 

沖縄にも行きました。3泊4日。

1年に1回沖縄行く!と勝手に妻が宣言しており今年も行ってきました。

食べる!遊ぶ!食べる!遊ぶ!を時間の許す限り楽しんでいました。

気候も植生も違ってとても楽しい。

海もきれいで素晴らしい。

個人的には戦争関連の施設を回りたいと思っていますが子供が小さいのでもう少し先の話ですね。

沖縄は最高である。

写真を振り返ると家族全員すごい笑顔。良い。

大学時代に一緒に沖縄に行った当時の親友(今は10年くらい完全に疎遠になってしまっています)に「今沖縄いるよ!懐かしいね!元気?」とFACEBOOKで連絡を入れてみました。

ずっと使用していないみたいで、返信はありませんでしたが、また次の機会に何かしらの方法で連絡してみようと思います。

※ネットで名前を調べてみると当時から非常に優秀な奴でしたが今は総合病院で医局部長をしているようです。学生時代から「病院の警備室で使ってくれ」と言っていましたが連絡ついたら改めて依頼してみようかと思います。

 

■2023年7月

7月はプールプールプール。

そして中国出張。中国のビザを取るために大変苦労しました。

誰が悪いのかわかりませんが代理店がルールを把握していなくてビザ取得の目途が立たず困りました。中国大使館のルールが変わったためと前日と違うフローを指示されたりしましたが、月中でいきなりルール改定されるか?ってもやもや。

1日でも早くいけと会社から言われていましたが代理店が言っていた取得日から1週間遅れくらいでようやくビザが取れました。

ビザ取得にあたり家族の情報も指紋も中国政府に提出して私はもう中国に逆らえません。

 

出国。

 

1つ目の現地法人で中国の洗礼を浴びる。

 

仕事。仕事。仕事。

乾杯。乾杯。乾杯。

吐く。吐く。吐く。

 

もう何が何かわからない。

 

■2023年8月

 8月も引き続き中国。

2つ目の現地法人に移動。駐在員のYさんと合流して最初に連れて行ってもらったご飯処。週2くらいで行っているそうです。

トレイの中に入った食材を適当に選ぶとボウルの重量で支払い。選んだ食材でラーメンを作ってくれる。

しびれる旨さだったけど、後日Yさんが現地社員にあそこは体に悪いから行ったらダメです指導されていたのは笑った。

8月には飲み方も少し慣れて?吐くことも少なくなりました。

中国の方の熱烈な歓迎に対しても「白酒を飲んだふりをして捨てる」技術を身に着けました。

①乾杯後口に含んでおしぼりに吐き出す(隙をみてテーブルの下に絞って捨てる)

➁乾杯後口に含んでペットボトルの水を飲むふりをして全部ペットボトルに吐き出す(隙をみてトイレの流しに捨てる)

 

大変無礼な行為だとは認識しているのですが、こうでもしないと体がもたないのです。

現地の駐在員も同様のことをしています。(ちなみにこの技は駐在員から習得しました)

 

中国の方は非常に親切でした。

見栄っ張りな気質らしく、毎日会を催してもらって、毎日ご馳走になりました。

お金を出させてはいけないというのは鉄の掟のようで、めちゃくちゃご馳走になりました。本当にありがとうございました。

 

あっという間に帰国の日になりました。

勝手に会社の負担を下げようと仁川乗り換えの便にしたのですが、飛行機の機材トラブルで韓国で便をロスト。韓国で無駄に半日過ごしました。

 

留守中、頑張ってくれた妻・子供には感謝です。

祖父母・ヘルパーさんにも感謝です。

 

8月は会社の同期が辞めました。

送別会で蟻が大量発生していて同期の足が虫刺されだらけになったのは笑いました。

同期は給与が半分くらいになる全く未経験のスタートアップに転職しました。

今の会社規模で仕事をするのは違うって思ったようです。すごい決断だなぁと思いました。

 

■2023年9月

 中国からお客さんがあったので滞在中のアテンドをしていました。

アテンド期間中に九州で大学の友人の集まりがありましたが、途中で退学した私に15年以上たっても声をかけてくれる友人には本当に感謝しています。

絶対近いうちに参加しようと思います。

 

この頃は家でBBQしたり、巨大流しそうめん機を買って流しそうめんをしたり

公園に行ったり動物とふれあったりして楽しんでいました。

 

あとは、3泊4日くらいで実家に帰りました。

帰省初日。お墓参りをした際にスズメバチを撮影していてさされました。

シオマネキみたいな感じになる。

腫れが引かないので帰省中ノンアルコールで過ごす。

憎い。スズメバチ憎し。

帰省中は長兄家族と祖父母と花火をしたり、アニマルカフェに行ったり、と楽しんでいました。フットワーク軽く来てくれる長兄家族。ありがたし。

 

■2023年10月

10月も中国からお客さんが来日。

私がビザや宿、チケットの手配などのもろもろを対応。

来日後も仕事の一切を私が担当。連日22時まで会社で仕事をしてもらいホテルまで送って帰る毎日。ご飯は冷たいおにぎりとかパン。

私は中国にいるあいだ美味しいお店で食事を段取りしてもらっていたことを考えると、「毎日夜遅くまで仕事を詰め込んでくる、なんて野郎だ」って思われたことでしょう…涙

来日業務の最終日に東京銀座でご飯ご馳走したのでそれで許してください。

(会社のお金ですけど)

 

プライベートでは

子供の運動会で感動したり

猿山で遊んだり

畑で芋ほりしたり

山でアスレチックして遊んだり

まぁ活動的な日常を過ごしていました。

 

■2023年11月

11月は七五三。

地元から両親にも来てもらって祈祷をしてもらいました。

前の週インフルエンザに感染していたこと、当日の朝3時起きで大阪まで出てきてくれていたこと、天候不良でダイヤがぐちゃぐちゃになっていたこと。と様々な事象が重なったこともあり父がパワーがない印象でした。

でもまぁ無事に祈祷も終わり、妻の両親とも久しぶりに食事をともにしてもらうことができた。我が家に戻ってきて晩酌の準備もしていたけどまもなく就寝。まぁ疲れてますよね。

次の日は爺婆我々孫の3世代で動物園に。

神戸どうぶつ王国。近くていい。子供も終始大喜びで楽しそうで良い。

 

11月は我が家に新しい家族を迎えた。

モクズガニカニーちゃん。活動的で2度ほど脱走しましたがかわいいやつです。

 

あとは会社のイベントに家族で参加したり

久しぶりの同期と一緒に飲んだり

移動動物園に行ったり

競馬場に行ったりと毎週いろいろ楽しんでいました。

 

■2023年12月

 12月はクリスマス関連のイベント多し。

自宅だったり保育園だったり親族でのクリスマス会。子供たちも笑顔。良い。

家族で移動動物園に行ったり、サーカス行ったり日々楽しい。

 

会社では、後輩が転職のために退職した。

非常に優秀で今まで何度も助けてくれていた人。

寂しいけど彼のためには非常にいいことだと思う。是非頑張ってほしいと思うし、これからも変わらず関係を続けてほしいと思う。

 

昔在籍していた大学の集まりで

忘年会の写真がライングループなどで送られてくる。

皆さん年を取らない人と、年をとったなぁーという人で二分化されている。

是非いつか私も参加させてほしいと願う。

 

11月くらいから子供が工作にはまっている。

木材をボンドでとめて塗装してニス塗り。

リモコン立てとかを作って祖父母宅などに送っています。

うまくできなくて泣いたりするけど、頑張っていろいろ作ろうとしていて偉いぞ。

 

娘がクリスマスのプレゼントで一輪車をゲットした。

まだ上手に乗れないけど一輪車の練習中に私もジャグリングの練習。

どっちが早く上手になるか勝負である。

 

とまぁ、2023年1年間を掻い摘んで書きなぐってみたけど

楽しくやっていたなぁと思いました。

 

2024年も楽しく元気に過ごせたら良いなと思う。

最も安い人件費は日本なのかもしれない件

この前娘が小学校に入学したと思っていたらもう12月になってしまった。

登校班には女の子がうちの娘一人しかいない状況で

「おにいちゃんと登校するのが恥ずかしい」と言っていたのももう昔のことである。

 

だいぶ前の話ですが

「私が足を骨折したらお兄ちゃんにオンブしてもわらないと学校にいけない」と恥ずかしそうにモジモジしていたのが懐かしい。

仮に骨折したとしてもそんなことはないのだが、かわいい考えである。

 

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私の職場にはちょこちょこ海外から仕事で来客があったりします。

ちょっと前に海外から来日者がきて、私が面倒を見ることになりました。

 

完全に彼らの仕事のはずなのですが、やらないといけないことが終わっていなくても定刻になると帰りたがったり、着地点を見つけて帰ろうとする。

「ダメダメダメダメ!」って言って「時間がかかろうが、手間だろうがやらないといけないことはやらないとダメ!あなたこの仕事のために来日したんでしょう」と一緒にやるからやろうって言っても、明らかに不機嫌になる。

毎晩私が売店で食事を買って食べさせてあげて仕事後にホテルまで送ってあげるということをしていました。当然食事代は自腹です。

 

で、これは一事例なんですがこの国の人だけの話ではなくて大体どこの国の人もこんな感じです。

 

 

日本が異常なのでグローバルスタンダードから考えると日本が改めなければいけないのでしょうが、海外の方々は仕事への割切がすごいです。

 

欧米でもアジアでも異動による転居なんて考えられないみたいですし

定時を超えたら仕事をそれまで!って感じです。

(弊社の東南アジア拠点では逆に残業代が欲しいのでわざとダラダラ遅く仕事をやっている人が多いですが)

 

いっぽうで自己主張はすごいです。

カレーが有名な国と仕事をしたときは「やってる」「できている」「できる」と数か月嘘をつかれて「じゃあ見せろ!いつになったら見せてくれるんだ!」に何もアンサーをくれない形で結構な時間と労力を費やした嫌な思い出があります。

 

日本が異常なんでしょうけど、日本人は真面目だなとつくづく思います。

個人差はあれどよくも悪くも責任感がある。

 

たとえ理不尽なものでも組織の指示にこたえようとする度合いを考えたら

一番人件費が安いのは日本なのではないかと思います。

 

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先日家族で家族で遊べる施設に行った際の話。

施設付近の一般の駐車場に駐車していたのですが、

遊び終わって駐車場に帰ってくると、同じ駐車場を利用していたオジサンが駐車場の管理会社に電話をされていました。

どうやら支払い機が壊れており、タイヤのロック板が下がらないみたいでした。

 

支払い機は共通なので10数台駐車されたすべての車が出庫できない状況に。

管理会社は一時間くらいで来ますとのこと。

 

「い、一時間!?」

 

本当に一時間くらいかかって管理会社とは別と思われる駐車場の修理業者みたいな人が来ました。

そのころには私たち家族を含めて7-8人くらいの人間が出庫できず、車のなかで待機を余儀なくされていました。

支払機の修理は時間がかかるようでロック板を物理的に下げて、出庫できるようにしてくれました。

 

管理会社に電話をしてくれたおじさんが非常にいい人で、一時間も待たされたのに

修理業者にニコやかに労いの言葉をかけ

かつ、駐車場の料金まで支払うという対応をされたのです。

 

そんな対応をされると私も駐車場の料金を払わないといけない流れになってしまうじゃないか!!

 

ということで1時間待たされた挙句、待たされた分も含めて駐車料金を払って出てきました。多分私の後の全員が支払っていたと思います。

 

当時は色々思うところがありましたが、徳を積まなければいけないなと感じました。

 

そして駐車場の修理をしている業者さん。

きっと毎日壊れた支払機の対応ばかりをしているんだろうと思います。

絶対怒っている人のところに毎回行くって辛い仕事だなあと思いました。

 

 

伝えるトレーニングの必要性

何かを伝えるということは非常に難しい

そしてそれは自分自身の中で考えがしっかり昇華されていないということが原因だと思う。

 

先日会社の偉いおじさんにある提言をした際に

「●●という課題があるので〇〇をやらないといけないのです」と言おうとして

「●●という課題があるので…」までを言った段階で

 

「〇〇やらないといけないだろ!△△が原因で××というやり方だってあるぞ!うんたら~かんたら~(続く)」

 

圧倒的な知識量と途切れることのない言葉のコンビネーションで防戦一方となりました。(いつも)

私の頭の中で回答を考えている間に次の言葉が飛んできて、何も言い返せないうちに先方がしゃべり続けて私は何も考えていないアホな社員になってしまうのです。

 

 

偉いおじさんが言っていること私が考えてきて言おうとしていたこととほぼ同じです。

ただ、考えが洗練されていて、流れるようにスラスラ言葉が出てくる点で圧倒的に違いました。

「(いや指導してくれているけど、それ僕も同じ考えですよ)あ、いや…。あ~っと…」と言っている間にどんどん話が進んで

 

「はい!これからも頑張って!」って言われて尺が無くなり試合終了なわけです。

 

 

 

正直いつものことなんですが二つの感情が湧いてきます。

「すげーなこの人」と「なんでもっとうまくしゃべれないのだろう」です。

 

考えが練りこまれていないし伝えるトレーニングが足りないのだと思います。

俯瞰的にもっともっと大きく物事を把握して瞬時に情報をひっぱってこれるだけ考えられていないです。

浅いのです。

そしてわかりやすく伝えるトレーニングもできていない。

私は職人ではなく、業務のアウトプットは人に動いてもらった成果になるのですが

人にモノを伝える能力をもっともっと磨かないといけないと思う次第です。

 

ちなみに偉いおじさんに提言をした結果、同じ考えで指導を受けることもあれば

「全然違うよバカ!」と全否定されることもあり、そもそもの案を練り上げるところでのトレーニングも同じく必要です。

 

ーーーー

話は変わって家族の話。

子供たちは自転車が大好きです。隙あらば公園に行こうと誘ってきます。

上の子はもうスイスイ乗れているし、下の子もキックバイク(ペダル無自転車)を頑張って乗っています。

緊張した顔で乗って、コケて泣いて。泣いたら帰りますが泣くまでは帰りたくないとずっと乗っています。

すごい集中力です。

 

下の娘によく「パパみたいになりたいの」と言われます。

「どうして?」と聞くと「車の運転ができるから」と言われます。

 

車の運転ができるから凄い!って思われているみたいです。

娘が大人になるころに人間が車を運転しているかわかりませんが

「Sちゃんが大人になったらパパの車をあげるよ」というと

「Sちゃんはピンクの車がいいの」というので

「パパがピンクに塗ってあげるよ」というと

「パパ大好きー」と抱きついてきます。

 

 

 

良きかな。

娘との思い出

娘がくっついてくるので匂いを嗅ぐ。

自分の子供の匂いというのはいい匂いである。

特に小さい子はいい匂いである。

 

おそらく生物学的にそういうふうにプログラムされているのだろうと思う。

 

私が匂いを嗅いでいると娘も負けじと私を嗅いでくる。

 

匂いを嗅いでから「キャー」というので

「パパは何の匂い?」と聞くと

「かわいい匂い!」と言ってケラケラ笑う。

 

それをきいて私も笑う。

いい感じである。

 

調子に乗って頭を嗅がせてみる。

「ここ嗅いでみ!」

匂いを嗅いでから「キャー」というので

「パパは何の匂い?」と聞くと

「かわいい匂い!」と言ってケラケラ笑う。

 

それをきいて私も笑う。

 

調子に乗って腋を嗅がせてみる。

「ここ嗅いでみ!」

匂いを嗅いでから「キャー」というので

「パパは何の匂い?」と聞くと

「かわいい匂い!」と言ってケラケラ笑う。

 

それをきいて私も笑う。

 

 

 

アホだ。

アホだけどかわいいし。面白い。

 

 

 

少し前は寝る前のかくれんぼがブームだった。

私が寝かし付けをするのですが、子供たちが先に寝室に入り、私が追いかけて行って探すというルール。

 

ある日、子供たちが二階の荷物入れの中に隠れていたことがあったのですが、

娘たちの成長とともにコレクションされてきた保育園の作品の上に乗ってクシャクシャにされていたので

大変ショックを受け、とても大切なものなのになんてことをしているんだと叱ったことがありました。

 

楽しいムードから一転。子供たちは泣き出してしまいました。

 

私と遊ぶ時間が毎日全然ないので少しでも一緒に遊びたかったのだということを泣きながら話してくれました。

確かに平日は子供を相手にする時間は風呂飯着替え寝貸し付けなどの生活するうえで最低限のことでしか割けておらず、かわいそうなことをしているなと反省しました。

 

 

それ以来かくれんぼはしてくれなくなりました。

ちょっと寂しいおっさん。

 

 

 

海外の人との触れ合いによる学び

現在、私が勤めている会社の中国の現地法人から、お客さんが来ています。

 

私も2023年7.8月と中国に出張していた関係で、最近は中国からのお客さんの対応をすることが多いです。

昨日は関西の観光をアテンドしていました。

満足のいくアテンドができたかどうかはわかりませんが、少しでも日本を楽しんでいってくれたらいいなと思います。

 

日本にいると中国や朝鮮半島の方に好意的ではない印象を受ける場合があると思いますが、全くそんなことはなく、応対していて非常に好印象な方々でした。

バイアスがかかっているっていうのもあると思いますし、私が応対している人がそれなりの人ってことも理由としてあると思います。

 

観光はまぁメジャーどころで、私が知っている知識をペラペラしゃべっていたら大体先方よりも知識量が上なので案内が成立するのですが困ったのは食事です。

 

昨晩、食事をどうするか問題に直面しました。

もともとは回らない寿司を体験してもらおうと思っていましたが、前日自分たちだけで回転寿司に行ったということでした。

色々ヒアリングして写真をみてもらったうえで「すき焼きが食べたい」という話になったので食べに行くことにしました。

 

お店についてすき焼きを食べるだんになって先方の顔色が変わりました。

生卵が食べられないということでした。

「これは新鮮なのか?無理。食べられない。」ということで、私が「新鮮で問題ない」と実食してみても、生卵を食べてもらうことはできませんでした。

 

どうやら彼らからすると生ものを食べるというのは異次元の行為のようです。

「え!?昨日回転寿司行ったんじゃないの?」と聞くと、全部避けて食べていたということ。

 

先月も別の中国人をアテンドしており、その際は割烹料理屋で刺身を食べたのですが、問題なく食事を終えました。

上記の事例を出して「どゆこと??」というと、前回中国からのお客さんは上海近くの出身で海の近くでは中国でも生ものを食べることに抵抗がない人がいるそうです。

けど今回のお客さんは内陸の山側の方だったので生ものを食べるなんてことは到底あり得ない地域の人なんだそうです。

そういうことか!出身地まで加味しないといけないのか!勉強になる!

 

以前ドイツ人を、事前確認をしたうえで回らないお寿司に連れて行った時も、上寿司頼んで卵だけしか食べてもらえなかったことを思い出しながら

異文化の方との食とかコミュニケーションって難しいなと思った次第。

(食べれませんって言っちゃダメなのか、事前のやり取りでは生ものだと認識できていないのか…?)

 

結局、中国の方は「日本で残したら失礼」っていうことは把握されていたようで

すき焼きの鍋に卵入れて煮卵にされていました。

新しい!!!

 

 

まぁ私も中国で高そうな料理屋さんに連れて行ってもらった時にセミの幼虫が出てきて

おなじようなリアクションをしていたことを考えると

お互い様だし、これが異文化との交流の楽しさでもあるし、学びなのだなと感じます。

 

彼らにとって日本での滞在がいい思い出、貴重な経験になるといいなと思います。

中国での思い出②

江蘇省から山東省へと拠点をうつし生活が始まりました。

日中はひたすら仕事ばかりしていたので特に書けることはありませんが、感じたこととしては

 

①飲み会が多い

 ひたすら飲み会が多かったです。

前の江蘇省でも毎日飲み会でしたが、山東省でも飲み会ばかりでした。

ローカル(中国人社員)の方も毎日のように食事に誘ってくれますし、

日本人駐在員からも店を変え、何回も歓迎会を開催してもらいました。

いずれも絶対にお金は受け取ってもらえませんでした。

 

②歓迎・おもてなしの文化が根付いている

中国の方に対しての感想ですが、ひたすら飲んでもらいたい、食べてもらいたいと、中国の方はもてなすということが文化に根付いているのだなと感じました。

1000円くらいの小さいクッキーを現地の総経理に渡したのですが、お返しにと重厚な木箱を渡されました。中には高そうな壺が入っていて、壺の中には高級な中国の紅茶が入っていました。

こんな感じで、全員何か恩を返そうとしても倍返しされます。

ただただ恐縮です。

 

③駐在員は強い絆で結ばれている

駐在員の方に対しての感想ですが、まず感じたのは絆の強さ。

私と同職位くらいの人から役員まで、幅広い年齢・職位の人たちが駐在されていましたが、皆さん仲がいいです。

一緒の宿舎で寝起きして、同じバスで出勤して、業後は誰かがみつけたおいしい飯屋なんかに一緒にふらっと行ったりします。

誰かが入手した美味しいタレなんかを持ち込んで、使いまわして美味しさを共有なんかをしています。

それを超偉い人と私くらいの職位の人が同じ席でやってたりします。

日本だと考えられないですが、異国だと自然と団結するのだそうです。

 

④駐在者には体力おばけが沢山

くわえて感じたのはタフだということ。

駐在員の皆さんは私なんかより圧倒的にかしこい方ばかりなんですが、それ以上に出張期間で感じたのはタフさ。とにかく飲み会が多いのですが、深夜まで飲んで次の日けろっと出社してバリバリ仕事をされています。

すごい人たちだなと感じました。

 

その他 生活での気づき

■焼き肉屋で、食パンを焼いてアイスをのせて食べる

締めで食べました。

うますぎてびっくりしました。

日本でもやればいいのにと思いました。

 

■ヒマワリの種を食べる

うまい。普通に食べれる。

 

うずらを食べる

過食部は少ないがうまい。

普通に路上で生きたウズラが売られています。

 

セミを食べる

中国ではセミが全然鳴いていません。

食べられてしまうからです。高級料理店でフカヒレなどと同列で出てきました。セミも高級扱いみたいです。(養殖もできないだろうし採取するコスト考えたら高価になるのは納得)

私は問題なく食べれました。

ただ、うま味などはあまり感じなかったので個人で注文したいとは思わないです。

 

■冷たい飲み物があまりない

中国のホテルでは冷蔵庫がありません。中国の人は冷たい飲み物を飲まないからです。

以下は会社の食堂の写真ですが、真ん中の茶色い汁が飲み物です。

豆の煮汁だそうですが、あったかいです。これが水の代わりです。

 

■配車や代行がアプリ化

支払いは出店なども含め基本的にほぼ電子決済化されていますが

タクシーや運転代行もアプリ化されています。

タクシーは日本よりも格安で利用できますが、雨天時など手配後なかなか捕まらない場合は競りのように追い金をどんどん賭けていくシステムです。

以下は代行を頼んだ際の写真ですが、超小さい折り畳み自転車にのったおじさんがやってきてこれから運転する車のトランクにのせてました。

一度、仕事で企業間を移動する際に往路の移動を頼んだタクシーのおばちゃんが「帰り(復路)も私を利用しろ」と門の前で出待ちをしていてトラブルになりました。

たくましい人が沢山いるので日本とは違って面白いですね。

※タクシーは基本的に近所の人が来るので、運転手からすると往復で利用してもらったほうが得

 

■徹底した監視体制

 とにかく監視下にあると感じました。そこら中にカメラがあり、道路の出入りの際もバシャバシャ写真を撮影されます。チケットの購入も中国のマイナンバーカードもしくはパスポートがなければ購入できませんため、だれがどこにいるのか完全に監視されています。

 また新幹線はもちろん、観光地など人が集まる場所に入場する際も顔写真の撮影と荷物検査があります。

 

■ 電動バイクや電動自動車が沢山走っている

以下の電動バイクは携帯の電子決済をすると開錠されて勝手に乗っていけます。

決済をした瞬間に誰がレンタルしたかどうかもデータで紐づいているのでトラブル時も個人特定できるのですね。

以下は電子自動車。

レンタル自動車も街中に多数ありましたが、個人所有も一般的みたいです。

しかも格安で以下のような電気自動車で20万円程度で購入できるようです。

 

■ 裸おじさん

裸おじさんを容易に発見することができます。

裸おじさんは基本上裸で寝ています。

裸おじさんは何者なのか、現地スタッフにきいたのですが、近くの工事現場の作業員だということでした。サボっているのだそうです。

 

■リモート診療

左:診療箱 外観

中:診療箱 中身

右:薬自動販売

 中国では診療用の箱があり、ここで医者とwebでつながってリモートにて問診をうけられます。血圧や脈拍、体温などは箱内で計測でき、隣に薬の自動販売機があり薬を受け取ることができます。

便利。

 

と、思いついたことをいくつか書き出しましたが日本と違い、感じたことが多かったです。

 

そんな感じで

※出社→仕事→定時退社→飲み会→(仕事終わらんので)早朝残業→出社

※休日含めくりかえし

 

をやっていたらあっという間に期日がきてしまいました。

関係者にはお世話になりっぱなしで、まだまだやり残したことが多いのですが貴重な経験ができてよかったです。

不在中、頑張ってくれた妻と子供たちには大変感謝しています。

 

中国の工場をあとにし帰国の途に。

 

出張最終日午後。

山東省から青島に移動し青島国際空港ホテルにて一泊。

 

翌朝、青島→仁川→関西という流れでしたが、機材トラブルにて青島→仁川間が遅延。

仁川→関西の便に搭乗できずに、韓国で半日時間をつぶすことに。

 

結局家に着いたのは夜の0時まわってしまっていましたが、日本にたどりづけたので良かったです。

 

 

スーツケースに工具を入れていたが原因で税関に呼ばれて問診されました。

「世界丸見えでみるやつやん」ってなりましたが、疑いも晴れて無事中国を出国できました。

 

疑いが晴れたはずだったのですが、日本についたらスーツケースのロック付きベルトを切断されていました。

再度どこかで捕まって中身確認されたようです。

確認時に、スーツケース内に入れていた缶ビールが破壊されケース内がビールだらけになっていました。

衣類多めでほぼ吸ってくれていたので助かりました。

 

総括としてですが、たくさんの方にお世話になりました。

留守中に仕事をフォローしてくれた同僚の方々。出張先でお世話をしてくれた現地の方々に、駐在員の方々。

そして、留守中に家庭を回してくれた妻に祖父母、ファミリーサポートの方、

父不在で頑張ってくれた子供達。

 

ありがとうございました。

中国での思い出①

2週間ちょっとですが仕事で中国に行ってました。

帰国後1週間。

中国での思い出と、日本の良さ。家族の良さを痛感しながら過ごしました。

出張中、家族にはただただ負担をかけたなと感謝するばかりです。

 

今日は中国でお世話になった現地の総経理が日本に来るので歓迎の飲み会がある。

以下思い出話を残しておこうと思う。

 

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2回目の海外出張。

避けに避けてきたけれどとうとう順番がまわってきてしまった。

期間は2週間ちょっと。家族にはとても負担をかける。妻には連休に改めてお礼をしようと思う。関空に着く。雨具をパッキングするのを忘れたので念のためにカッパを買う。100均で買えるようなペラペラのカッパが600円。安くはないが、現地で濡れることを考えたら必要経費だ。(結局帰国まで一度も使用しなかった)

 

空港の窓口は驚くほど混んでおり。1時間ほどかかり発券。預け入れ荷物は23キロ制限。荷物は事前に計測し22キロにしてパッキングしていたので特に揉めることはなかった。発券後はスムーズ。機内持ち込みの荷物検査。審査はほぼスルー。

手荷物は10キロまで。10キロを超えると1000元かかると書いてあった。日本円にして約2万円。まじか手荷物は測ってない。やべえなと思いながら進むも、どこにおいても手荷物の重量を計測される工程がなかった。どういうこと?

搭乗口付近で待つ。現地についたら即飲み会の予定だったのでなるべく何かを食べておこうと思いうどんを食べる。

300円くらいで食べれそうなうどんが1,000円。高いけど、隣で売ってあった2,000円の弁当を見たら消去法でうどんを頼んでました。

中国ではほぼ電子マネーが浸透してしまっているということでしたが一応元をもっておきたいとおもい両替所を探す。

地図にある両替所がなく換金できず。いい加減な看板である。そのまま搭乗。

機内は中国語だらけ。中国にはビザなし入国ができないので、ほぼ中国人の帰国者ばかりである。CAさんも中国語しか喋れなくて、ウォータープリーズというと珈琲と空の紙コップを3つくれた。

どういうことだろう。
機内食も中国語。私は日本語と少しの英語しか喋れない、何がありますか?と聞くも、マジで伝わらない。中国上海につく。

 

マジで入国ルールがわからない。わからない。外国人とかいた指紋採取装置のようなものがあったが、誰も並んでいない。一応操作してみたが、使えないようだ。脳死して前の列に続く。ウィーチャット(アプリ)で、申請した入国用の申請をQRコードにしてゲートを潜る。するとその先で何やら書き物をしている外国人の集団。便やら滞在住所やら連絡先など色々書かないといけないみたい。「え?ウィーチャットで同じこと申請したけど。。」と思いながらもなんとか、それも通過して入国。

 

空港までは現地の会社から迎えを出してくれています。

会社ロゴが印刷された紙を持っている人を探し合流。そこからは車で3時間半爆走し江蘇省へ。

 

当日宿泊するホテルに着くと現地会社の部長が玄関で待ってくれていた。ありがとうございます。

チェックイン後「じゃあ5分後にロビーで」っていう本当に荷物を置いてくることしかできない集合時間を指定され、大急ぎで部屋からホテルロビーに戻り歓迎会に。

 

歓迎会は料理は美味しく、皆さん優しい。


こちらでは飲み会の際に白酒というものを飲む文化がある。一人でお酒を飲むことは禁止されており、誰かを誘って乾杯の合図で飲みきらないといけないようだ。

飲み方は2種類。小さなショットグラスで飲むパターンと、ワイングラスみたいなもので飲むパターンがある。ショットグラスの場合は乾杯で飲み切る。グラスの場合は7回目の乾杯で飲み切るということが必要なようです。この日はショットグラスでの開催。

 



白酒は度数50を超えるものが一般的だそうだが、私は事前にお酒が弱いことを伝えていたおかげで40度のものを探して準備してくれていました。




それでも、強い。
キツイ。
半分記憶をなくしながら閉会。

 

閉会後、
偉い人(日本人)がスナックに誘ってくれました。

厳しいイメージのある方でしたが、この1日で優しさを感じることができて大変感謝のもとホテルに戻りました。
ホテルに着いたら連絡するように指示を受けていましたが、送ったと思っていたSMSは送信できておらず、心配した偉い人(日本人)から深夜に電話をもらってしまいました。申し訳ございません。


 


次の日の朝。3時か4時か寒くて起きる。いつの間にか帰ってきて寝てしまっていたようだ。


堪えきれない嘔吐の波に、朝から水飲む→吐くを繰り返し、なんとか歩ける状態に。

出社方法がわからずにオロオロしていると別の偉い人(日本人)がホテルまで迎えにきてくれました。
ありがとうございます。
何から何まで。

 

会社には着いたものの、頭ぐるぐる、ふらふら。

昼食は会社の食堂。

食べ物の匂い嗅いで。戻しそうになる。危ない。

現地の方々が気を使って色々持ってきてくれる。

お茶、コーヒー、水、ブドウ、モモ、スイカ…ありがとうございます。

 



仕事については、言語関係ないので、少なくとも私の専門に関してはモノを見たらだいたいわかる。

仕事は進む。楽しい。


 


業後。歓迎会。
中国はもてなすのが本当に好きみたいである。
羊の1頭丸焼きをご馳走になる。うまい。

 


今日の
白酒は51℃。

前日のショットグラスではなくワイングラスタイプ。

これを7回目の乾杯で飲み干さないといけない。

飲む量は個人の裁量でokだけれども、飲むのが遅いと7回目で大量に飲まなければいけなくなる。なかなか奥が深い。

 

前日の酔いが残っており、一杯しか飲めませんでした。


それでも、スナックに行こうと誘う現地スタッフ。

ありがたい。
ありがたいけど、しんどい。でも
せっかくなので連れて行ってもらう。飲み物はコーラ。(もう飲めない)


すごく美人でしたが、
トイレへ離席(吐)~寝たりを繰り返していて、ほとんど覚えていない。吐いてトイレから戻ると女性が誰もいなくなっていたので他のお客さんのところにうつったのだろうと推察。正直なお国柄でよい。

 

その日はなんとか自力でホテルに戻ることができました。

現地スタッフが別れ際にスイカ1玉をくれました。がどう考えても食べれなくてゴミになるので交渉のすえ、受け取りを拒否することに成功しました。

 

この後に続く2週間の出張期間で痛感するのですが、中国の方は本当にもてなすのが好きです。

お店に連れて行って、飲み食いさせてお土産を渡すということがマナーなのか、期間中、ほぼ毎日飲食をご馳走になり、土産物も沢山いただいてしまいました。現地の方々の給与と連れて行ってもらったお店を考えると大変な負担だったのではないかと思いますが、歓迎はありがたく受けるのが礼儀みたいなので、毎日ご馳走してもらっていました。

彼らが日本に来た際にはお返しをする形でお礼をしようと思う。

 

次の日。

2社ほど会社をまわり、午後からは高鉄(中国の新幹線)にて山東省へ向かう。
中国の新幹線は入場時も退場時も外国人はパスポートが必要。
荷物検査もあり、徹底している。

 

日本の新幹線との違いは以下くらい。

①中国人以外はパスポートがなければチケットが買えない

➁すべて電子化されているので訪中者は有人窓口で入退門が必要。

③荷物検査あり。

④ホームには電車が来る直前にならなければ入れない。

それ以外は日本の新幹線とほぼ同じなので乗っていたら目的地。

 

高鉄車内で、前の席に座っていた母子がおもちゃを落としてしまい、私のところまでおもちゃが飛んできました。

拾って子供に渡してあげたのですが中国語で「どうぞ」がわからなくて、「どうぞ」って無意識に日本語で言ってしまいました。

すると、前の席のお母さんからは流ちょうな日本語で、非常に丁寧なお礼を言われました。

お母さんは立命館大学卒だそうです。先月も私も大阪から来ました、学生時代はどこに住んでいたんですかって話で盛り上がり、山東省での降りる駅も同じで、何かと縁を感じました。

 

山東省に到着。有人改札をくぐる。

昔一緒に働いていた中国人の同僚がいるのですが、駅まで迎えに来てくれていました。

ホテルまで送ってもらいます。

 

感謝。

 

ホテルで数か月前まで一緒に働いていた駐在員と合流し

その日は駅近くのラーメン屋でご飯。

白酒も円卓もない普通の料理。良い。

 

おそらく200円程度の現地人が夕食を取るラーメン屋でしたが

大変おいしかったです。

 

中国では現金がほぼ使えないのですが

ラーメン屋で駐在員に万札渡して電子決済アプリにて元を送金してもらいました。これで一人でも買い物ができる状態になり一安心です。

 

この日は久しぶりにアルコールのない夜を過ごしました。

 

続く。

セーフティラインをもうけてセルフ管理する重要性について

✳︎先日、出張中の車中で書いて、投稿してなかった文章です。

 

 

現在、夜の23時。

仕事を終えて明日の仕事先に向かう列車の中で記事を書いています。

最近ずっと仕事が忙しい。妻のフラストレーションが溜まっているのを感じます。

加えて今月と来月は海外出張の予定。

家事代行等のサービスが世の中にはあるものの全事象に対して都合よく使えるとは思えず、私がやっている家事が海外出張中は全部妻にいく可能性がたかい。

 

共働き家庭ですが、妻には大変な負担をかけてしまうことを心苦しく思います。

 

 

本日の話。仕事を終え、出張の荷物を取りに家に帰る。

出張先に向かうため家を出る時、下の娘がギャンギャン泣いて大変でした。

今月から海外出張になるので、「パパは外国にお仕事に行くけど絶対帰ってくるから大丈夫だよ。ママの言うことをしっかりきくんだよ」って毎日言いつけてましたが、今日から外国に行くんだと勘違いしたみたいでした。

 

可愛い娘よ。

パパと離れると思って泣いてくれるなんて…

 

 

 

仕事のボリュームも、責任もどんどん大きくなって、収入も増えてはいますが、それ以上に家族の負担が増えていることを感じます。

 

子供の宿題はほとんどみてあげれてないし。

子供と遊んであげれるのも土日くらいです。

 

仕事の裁量も増えて、やり甲斐もあるし、日々学びがあり仕事は楽しい。

頑張れば成果が出て、評価にも繋がる。良い。

 

一方で、仕事の中で理不尽なことも非常に多くなりました。仕事中に悪態をついたり、口調がキツくなることが増えました。(わたしが考えるダメなおじさんに近づいてしまってます)

 

約束を守らない大人の多さに嫌気がさすし、約束が守られなかったことに対しては私が怒られる。

そしてそれを偉い人が「まぁまぁ」と言ったら解決してしまう感じになるのも変な感じ。

何かしてくれたわけでもないし、何も解決してないのに。

 

タニタしながら近づいてくる大人も、前に増して増えました。

私は飲みたいわけじゃないのよ、仕様書に対しての回答をはやくくれ。

 

知らんおっさんとつまらん話しながら飲むくらいなら娘が起きてる時間に帰って顔見たいよね。

 

家族を養う必要があり、無職の選択肢はないけど、家族の心と体の健康を壊してまで働く必要はないなと思ってます。

 

仕事そのものは楽しいと感じているだけに、家族と私の危機に気が付かず、仕事を続けてしまいそう。

ここはというセーフティラインが必要です。

 

デッドラインでは遅いのでセーフティラインで管理。そこを越えたら転職、異動願を選択するという決意で日々過ごそうと思う。

 

大切なものが壊れそうならば、仕事は二の次で家族の健康を優先すること。

 

大事。

 

 

✳︎という日記を特急列車の中で書いてました

投稿してる今現在は休日出勤中の昼休み。

2023年沖縄旅行 4日目

4日目。

最終日である。前日コンビニで購入していた朝食を食べる。

 

わたしはゴーヤ丼と朝すば。

沖縄では蕎麦のことをすばというらしい。

コンビニひとつしてもラインナップが楽しい。

うまい。ゴーヤは苦くて美味いいい。そばも出汁がいい。

 

朝ごはんを食べたら、おきなわワールドに向かいました。

まずは鍾乳洞を堪能。涼しいし、綺麗である。

子供も自分のカメラで必死に撮影してました。

かわいいやつめ。

 

観光用の通路を通すためにツララを人工的に破壊してましたが、こういうのは別にいいんですね。あんまり貴重なものでもないのか、そんなものなのかな?

 

フルーツを食べたり、

エイサーやハブとマングースのショーを見たり、沖縄の古民家で太鼓を叩いたり、三線をひいたり、時間いっぱい楽しみました。

 

飛行機の時間があったので、まだまだ見足りませんでしたが那覇空港へ。

 

一瞬で車を返却し(駐車してカードかざすだけ)、空港でハンバーガーを食べて、飛行機に乗り、大阪に帰りました。

 

今回も大変満足な旅でした。

企画運営をしてくれた妻には大変感謝です。

2023年沖縄旅行 3日目

3日目も朝起きてからホテルバイキング。

大きいホテルだとバイキング会場も複数あり、日毎に変えて楽しめるのも良い。

 

この日は前日の洋食メインのバイキング会場とは毛色が違い、和食バイキングでした。

この日もお腹いっぱい食べて食べて食べまくりました。

 

食後はプール。

子供たちも水を怖がらなくなりました。

プールを堪能したあとはチェックアウトして、昨日同様にラウンジでお腹いっぱいケーキを食べる。

背徳感。

 

ホテルを後にし、車で那覇に向かう。

 

那覇に着いたら首里城に行きました。

首里城は中学生の修学旅行以来のため、20数年ぶりです。

当時のことは何も覚えていないので、ほぼ初めての感覚で訪れることができました。

今回訪れて知ったんですが、首里城って2019年に火災で燃えていますが、首里城の復元が完了したのも2019年なんだそうです。

以下、ホームページより

 

終戦後、首里城復元の構想が強まり、1986年(昭和61年)に国営公園として復元整備することが閣議決定されました。そして、沖縄本土復帰20周年にあたる1992年(平成4年)11月3日に正殿、瑞泉門などの復元完成により一部開園されました。2000年(平成12年)には史跡「首里城跡」が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして「世界遺産」に登録されました。
 その後も整備が続けられ、2019年(平成31年)2月に御内原・東のアザナエリアが開園し全面開園となりました。

 

復元に向けて頑張って活動してきて、復元が完了した途端、ほぼ全焼って、もう関係者は耐えられんでしょうね。

首里城は全面復元作業中だったので、石垣と歴史の展示、火災で被災した瓦礫などの展示がほとんどでしたが、事前に琉球王国について勉強していったので大変興味深くみれました。

 

 

大学時代の友人が誕生日で、そういえば彼と沖縄に遊びに行ったなぁと懐かしくなり、10年以上ぶりにFacebookでメッセージを送ってみました。

彼はわたしよりずっと優秀で、今は医者として総合病院の救命救急部で医療部長をしています。

迂闊だったのはFacebookでメッセージをおくってしまったこと。現在全くログインしていないようで残念ながら私の誕生日メッセージは読まれることはなかったようで返事もありませんが、またいつか連絡をとれたらいいなぁと思いました。

 

首里城のあとは一般市民が使うスーパーに行きました。

ジューシーやちんすこうが地元民価格で売ってあり、海ぶどう沖縄そばがリーズナブルな価格で並んでいて大変面白かったです。

 

その後那覇市内のホテルに宿泊し、国際通りに行きました。

ホテルから国際通りまではモノレールで行きましたが、後からモノレールをひいたので、空き地が飛び飛びだったのか、ものすごくグネグネ曲がる線路でした。

 

国際通りではベタですが、ステーキをかっくらい、土産物を買い漁りました。

 

ベタですが、楽しい。

 

3日目も大変満足な1日でした。