2021年もアッという間に終わってしまいました。
このまま忘却してしまったら寂しいので簡単に振り返ってみたいと思います。
かなり端折りますがダイジェストで。
2021年1月
新年をむかえましたが実家には帰りませんでした。新型コロナウイルスの感染拡大対策です。大学四回生の時は微生物の研究をしていたため、餌やりとデータ取りのために帰省できませんでしたが、それ以来です。
写真を見返すと1月は大雪の中、奈良の協力企業に行って両足に霜焼けを大量に作ったりしていました。朝に車が全面凍り過ぎてホテルから出れなかった思い出があります。
フロントでぬるいお湯をもらってバケツリレーして氷を溶かし、なんとか遅刻しながらもたどり着くと、寒すぎて塗装設備が動かせずにしばらく寒いなら塗装場でラインが動き出すのを待っていた記憶。
現在奈良、兵庫、京都、栃木、神奈川の協力企業とお付き合いをさせてもらっていますが企業規模が違うってことで色々と難しいことが多いです。
銀行からお金を借りれなかったり、そのために設備投資ができなかったり、賃金が上げれないから離職者が多かったり外国人が多かったり…
大変だ。。。
あとは娘二人の誕生日でした。
上の子は4歳、下の子は1歳。妻の実家と私の家と2回誕生日会をやるのが恒例で、ケーキは2回食べられるし、両親からと祖父母からと曾祖母からとプレゼントも大量にもらえるので子供は喜び狂っていました。
あと下の子はこの頃には歩いていたようです。
下の子の餅背負いとつかみ取りがありました。
餅を背負ってはギャン泣き。ハサミをつかんでいました。
2021年2月
2月は非常に平和な日常を過ごしていたみたいです。
家族と遊園地で遊んだり、雪遊びをしたり、子供と一緒にご飯を作ったりしていたようです。
あとなかなかうまくいかない家探しに対し、歩いて空土地を捜し歩いたりしていたみたいです。多い日だと20㎞/日なんか歩いていました。
2021年3月
年休を取得して実家に帰省。子供ができてからは毎回車ごとフェリーに突っ込んで帰りますがこれが楽でいい。子供はフェリーを楽しめるし、船の中で寝て朝起きたら九州についています。大人も子供も大変楽です。
それなりに綺麗ですし、風呂トイレ付きの個室を取ればホテルと何も変わりません。食べて飲んで起きたら九州です。(帰りも同じく)
もう亡くなりましたが祖母とまともに会話をしたのもこの時で、写真を撮影したのもの最後になりました。
[3月以降の話]
この後、すぐ転んで骨折をして、手術→入院→リハビリ→老人ホームと色んなイベントが起きてあっという間に弱っていってしまって娘の秋の運動会の日に亡くなりました。
3月以降では生前で2回会いに行きました。
1回目はホーム入居後で、昼頃に家に一時帰宅してもらって会いました。
喋ってもあまり会話が成立せずって感じでしたが元気は元気だったのでみんなで写真を撮るべきだったなと後悔しております。
2回目は危篤の連絡を受けた後だったので、ホームに行きましたがもう何もしゃべれなくなっていました。私の父が髪をつかってコチョコチョをして反応を確かめていました。かゆいのか、手で払いのけるしぐさをしていました。
祖母と会った後は私の福岡に住んでいる兄と両親とでご飯を食べに行きました。
帰省時は父の知り合いの店に連れて行ってもらうのが恒例なのですが
私には知り合いの店ってのが無く、人が来た時に連れていける店があるっていいよなって思いました。
料理は相変わらず美味しく大変満足。
下の娘は兄(おじさん)に抱っこされて大泣きしていました。
次の日は水族館に行ったり動物園に行ったりして楽しく過ごしていました。
離れて暮らしているけれど、たまに来る孫たちを可愛がってくれる両親にも有難いし
、たまにしか会わないのに人見知りせずにじいじばあばと全力で楽しんでいる娘達にも有難い。
2021年4月
下の娘が保育園に入園しました。
上の娘が保育園に入園した時はまだ歩けなかったし、ご飯も食べれなくて、入園後も入退院を繰り返して大変だったけれども、しっかり自分で歩いてご飯もモリモリ食べて、幸いなことに大きな病気もすることなく助かっている。ありがとうである。
この頃は会社でチャリ部を作って30-100kmくらいの距離を休みの日に走ったりしていました。
あとは、公園に行ったり、ピクニックに行ったり、義理実家でBBQをしたりという週末でした。子供が小さいため色々と制約が多く、コロナ禍でもありましたができる範囲で楽しく過ごしていたみたいです。
写真は妹の保育園の荷物まで運ぶお姉ちゃん。
2021年5月
白くて大きなビニール製のバックを買ってきて、上の娘と一緒に絵を描いて母の日にプレゼントをしました。今ではぬいぐるみ入れになっていますが、娘も母の日のプレゼントができてご満悦って感じでした。妻も喜んでくれました。
義理父が知り合いから楊貴妃というメダカを10匹ほど貰ってきてくれました。
2022年1月現在では3匹(当時のメダカは1匹、2匹は子供たち)になってしまいましたが元気に泳いでくれています。
2021年6月
変わらずプライベートでは公園に行ったり、義理実家でBBQをしたりと過ごしています。
会社では後輩のH君が東京に転勤になりました。彼は新入社員の実習生だったころから私について働いてくれていて、勤勉でコミュニケーション能力が高く、容姿端麗で性格も非常にいいという非の打ちどころがないような人でした。実習が終わった後も部署は違いましたが同じ案件を担当して一緒に働いていました。
優秀過ぎて、担当案件についてはあっという間に抜かれてしまいました。
担当案件以外も同じように業務にあたっていたら全く敵わない自信があります。それくらい優秀でした。
そんな彼は、弊社が新しい会社を立ち上げることになった際に抜擢され、東京の超絶お洒落な会社に転籍となりました。
彼には本当に助けられました。また会いたいなぁと思います。
この頃にメダカがちょこちょこ卵を産み始めました。
あと高知県のおばあちゃんの家に行きました。
毎年行っていますが、海山川がとてもキレイで長閑な所です。
平均年齢80オーバーの限界集落です。
車がないと何もできませんが自然豊かな遊びが沢山できます。
透き通るような川でちゃぽちゃぽ足をつけたり、イルカに魚をあげたり、水族館に行ったり、船に乗ったり、楽しいのです。
そして何よりおばあちゃんが孫&ひ孫が来るのをとても楽しみにしてくれて大変可愛がってくれます。
ひ孫の写真を何よりも嬉しがってくれて、我々が帰った後も穴があくくらいずっと写真を見ているそうです。
また行きますのでよろしくお願いいたします。
写真はおばあちゃんの家から徒歩で行ける川。手前も全部川。水がキレイで良い。
2021年7月
海外駐在のために検査をしたら抗体を持っていたっていう会社の人がいて、まったくもって自覚症状もなかったので「これはもう国民の一定数は無症状ですでに感染していて、検査していないから感染者としてカウントされていないだけでは!?」という疑惑が浮上し、検査キットで抗体の有無を検査しました。
指を針で刺すんですが少し怖かったのと、検査結果が出るまで多少ドキドキしましたが全く抗体がありませんでした。抗体があったらワクチン接種しなくていいなと思っていましたが複雑な気持ちになりました。
娘の友達K家で七夕パーティに招かれました。よく一緒に遊んでもらっている家なんですが、凄くちゃんとしている家でよくもまぁこんな素敵な人たちと知り合いになれたな、有難いなといつも思っています。
公園でセミとかバッタとかカマキリとか色々捕まえて遊んだり、義理実家でBBQしたりして過ごしていました。
あと、飲み会にについてですが、感染拡大防止のためのなんちゃら宣言などで「○人以下でしか飲み会不可」とか「○時までしか酒類提供不可」とか色々面倒だったのですが海外赴任者の送別会をどうしてもしておきたいなぁとか思ってレンタルスペースってやつを利用して飲み会を開催してみました。
以下感想。
レンタルスペースは有り。周囲の客を気にする心配がないし、広い。場所にもよると思うけれどもボードゲームなんかも置いてある(使いませんでしたが)。そして何より安い。スーパーとコンビニで食べ物と酒類を購入しましたが、大学時代の飲み会を思い出しました。場所代が1万円かかったとしても5人なり10人なりの人数で割ったら微々たるものだし、お酒や料理が店で飲み食いする場合と比較し激安である。
予約も簡単だったしリピートは有りだと思う。
デメリットは以下
・買い出しなどの準備が必要
・開錠などがあって幹事の遅刻が絶対にできない
・片づけをする必要がありゴミを持ち帰らないといけない
面倒な面は、確かに面倒でしたが機会があったらまた利用するかと思います。
あと7月はまた4泊5日(内2泊はフェリーの中)で佐賀県の実家に帰省しておりました。
前回同様にフェリーで飲み食いして、寝て起きたら九州という帰省方法で、移動中も旅の楽しみとして消化する作戦。
フェリーで1泊して迎えた旅行2日目は昼から祖母と会いました。春に転倒して骨折、入院、手術、リハビリ、退院、老人ホームという流れを経ての3月依頼の再開でした。
「転んだって聞いたよ!大丈夫だった!?」とか聞いてみましたが「はっはっ、わからんのよ」「覚えとらんのよ」とか言っていました。結局あまり会話らしい会話はできず、写真も撮らずに帰ってきてしまった。思えば写真を撮っておけばよかったと思う。
(以下の写真だけなぜか撮影していました)
夜は実家でBBQをして酒を飲んで寝る。
旅行3日目はどんぐり村という山の中のテーマパークに行きましたが、いろんな動物にも触れ合えて自然もあって、子供も喜ぶような乗物なんかもあって、美味そうな食事なんかもあって子連れには大変いいところだと感じました。リピート必至です。
夕方は父が付き合いのある旅館を予約してくれて、ご飯を食べることに。
海辺にある旅館なんですが、娘が海に入ったことがなかったので料理が出てくるまで少しだけ浜辺で遊びました。年に一回は連れて行ってくれている旅館なんですが、料理は相変わらず激うまでした。
旅行4日目は同じく父が付き合いのある料理屋さんに行きました。
兄夫婦も来てくれました。兄夫婦の娘(姪っ子)とは初対面でした。
泣き叫ぶでもなく大変お利巧にしていました。
夜は大阪に帰るためのフェリーに乗船してまたお酒を飲んで美味いものを食べる。スヤスヤ寝ている間に大阪に着く。最高である。
旅行5日目。
フェリーで目が覚める。朝6時ごろに港に着くので、家についてもまだ朝の8時、荷物を降ろしても朝8時半。5日目の午後は祖父母が孫にくれたおもちゃで家で遊びました。
あと7月は仕事で鈴鹿サーキットにも行きました。
完全に遊びなんですが、自動車の急ブレーキ、急ハンドル、タイヤロック時の挙動、アンチロックシステムなどの体験しに行きました。
完全に遊びだったので、ただただ楽しい時間でした。
2021年8月
写真を見返すと、8月もベランダでプールしたり、公園で遊んだり、楽しい日々を過ごしていたようです。お盆休みは九州にも高知にも帰りませんでしたので関西でゆったり過ごしていました。伏見稲荷神社で山頂まで行きました。
あまり山頂感や達成感はありませんでした。
私のお盆休み期間で妻が仕事の日に、娘の友人K家の皆様と京都の科学センターに行きました。
13時集合だったんですが、娘は張り切り過ぎていつもは全然朝起きないくせに朝6時に起きて、8時にはご飯を食べて着替えを済ませて帽子をかぶってリュックを背負って13時まで落ち着かない様子で待っていました。
以下ソファーでひたすら待つ娘。4時間以上待ってました。
科学館にはいろんな展示があって、種の起源だとか、物理原則や法則・定理などが分かりやすく展示されていて、みたり体験できるようになっています。
原理原則や法則なんかはわからないみたいでしたが娘も精一杯楽しんでました。
例:滑車の原理を体験する実験器具なんかでギャーギャー言いながら紐にぶら下がっておもりを上げる
2021年9月
9月は淡路島に家族旅行に行きました。
カワサキワールド(川崎重工の施設)と牧場に行って日中楽しんで、宿泊先はあの耳に残るCMで有名なホテルニューアワジです。
CMが高級感がないので2流ホテルだと思っていたのですが、実は高級リゾートホテルみたいでした。何かにつけて心配りをいただき、なるほどいいホテルでした。貸し切り風呂に貸し切りプールも堪能しました。ご飯も部屋食で美味しかったです。
2021年10月
祖母が危篤ということで、10/2に単身で帰省しました。
10/1には長兄が様子を見に行き。10/2は次兄と私、両親の4人で入居中のホームに行きました。
1時間くらい滞在したかと思いますが、再三の呼びかけには最後まで返事はありませんでした。ただ、まったく苦しそうという感じはなく、ただただ寝ている感じでした。大変失礼ですが間抜けな寝顔って感じの表情でした。多分本当に苦しくはなかったんじゃなかろうかと思います。
10/9(土)は娘の運動会で、運動会が終わったくらいに「今晩が山です」って連絡がきて、本当にそのまま亡くなりました。
私は週明けから栃木県の協力企業へ出張になっていましたが後輩に代打を頼んで、月曜に帰省。それまでに長兄が準備もろもろを手伝いに行ってくれて、本当に助かりました。祖父の葬式の時もそうでしたが長兄には家のことについていつも助けられます。
祖母のお葬式はあんまり悲しい感じがなく淡々と終わりました。
葬式会場で「娘が喜ぶかも」って思って虫取りをしていたり、棺に入れるのに皆さま髪の毛と爪を切りましょうってときも、僕が全部の指の爪を切っていたら「風呂上りか!」って母につっこまれたり、父が葬式の挨拶で「アスペルガー」を連呼したり、とにかく悲壮感のないお葬式でした。
祖母の人柄なのか、まぁ悲しい葬式が正解ってこともないだろうし、悲しくないお葬式というのもいいもんだなと思います。
いまふと思い出したので追記します。高校生の頃に、私に保険をかけると祖母が言って1日保険関係のためにつかったことが有った気がします。あれはなんだったんだろう…もう迷宮入りだろうか…。
あとは10月は芋を掘ったり、ハロウィンがあったり、娘の友達のK家の方々と遊んでもらったりと楽しく過ごしていました。
2021年11月
11月は義理実家でBBQをする日に義父が脳梗塞になって病院に運ばれてしまいました。前日までにBBQの準備をして当日の朝を迎えると、義父が脳梗塞で運ばれて病院にいると義母から連絡あり。
途中までは当然BBQは中止の流れでしたが、コロナ禍ということもあり義母含めて病院から追い出され、なにもしようがない状態に。
お肉等々は準備済で、自粛しても義父が回復するわけでもないのでBBQは決行することになりましたが、脳梗塞の知らせを受けてやってきた義父の会社の従業員(親戚)からは異常な光景にうつっただろうなと思います。
義父の脳梗塞からわずか数日後。義母が転倒して足を骨折。日常生活が困難になり、妻が住み込みでサポートに回ることになりました。やはり心労があったのだと思います。異常時というのはまず心を平穏にすることがとても大切だと感じました。
義母が転倒して病院に運ばれた日は義理実家に親族が集合しました。
義理実家が商売をしているので、仕事の段取りをつけたり、仕事部屋が2Fにあるので、ベッド含む2Fのものを1Fに降ろしてきて1Fで生活が完結するように模様替えをするためです。
集合時に私に課せられた仕事は人数分の弁当を買って帰る事でした。
義理実家に向かう途中に考えていたのは「動ける人間が一人でも減ったらマズイ。ひたすら安全運転だ。」でした。
11月から義理実家での生活が年内続くのですが、親族の結束力の強さを凄く感じました。シフトを組んで誰かが集まって助け合うのです。有事の際に助け合えるコミュニティって凄いと思いました。
2021年12月
義父は引き続き入院中です。(この日記を書いている2022年1月中旬時点でもまだ入院されています)
妻と娘二人は義理実家で寝起きをしています。私は寝るときだけ家に帰り、朝起きたら義理実家に行って子供を拾って保育園に届ける。仕事が終われば義理実家に行ってお風呂に入ったりお風呂に入ったりご飯を食べたりして子供が寝たら自分の家に帰るという生活でした。
上記の生活を通しての変化。
義理実家で
・トイレ借りますとか、洗面台借りますとか言わずに勝手に使うようになった
・お風呂に入るようになった
・洗い物や洗濯なんかの家事もやるようになった(お客様じゃなくて身内になった感じ)
・勝手に冷蔵庫を開けるようになった
・自分でジャーからお代わりをよそうようになった
・庭木の剪定を勝手にするようになった
妻や親族、そして義父や義母にとってももちろん大変な出来事だったんですが、この出来事を通して距離感は一気に縮まったように感じるし、凄く結束力の強い一族なんだなということを感じました。
そんな一年でした。