資本論で有名なひげもじゃおじさんカール・マルクスは、労働=商品であることを示したうえで、「賃金とは、労働(時間)という“商品”に支払われる価格である」と述べています。
資本家(企業)は労働を買い、労働者は労働時間を商品として売るのです。
するってぇと時給が私の提供している商品の価値になるわけですね。
学生時代含めて私の生涯の時給を確認してみることにしました。
大学入学して始めた飲食店での時給を1として
現在35歳までの時給を比率でみてみました。
なお今回は、サービス残業や会社で使用する業務に関する知識や資格についての勉強も労働時間に含めました。
とりあえず思ったのは右肩上がりで良かったってことと
時給推移と当時の業務を振り返ると、時給があがるにつれて裁量が増えていたり、自分の業務によって影響する範囲が拡大していたり、知識経験が増えているとは思う。
ただし私のリサーチでは一般的には私のいるところでいったん止まりそうです。これ以上時給を上げていくためには部下持ちの管理職になるか、希少性が高い人材にならなければ無理そうです。
一般的に時給というのは(需要と)希少性で決まるそうです。
[大学1.2年]
飲食店でのバイトを基準の1として表を作りましたが
飲食店でのバイト時代は誰でもできる内容の業務を指示通りにするしかできなかったという状態でした。(なんなら指示通りにすらできませんでした)
お皿を洗うだけ、トイレを掃除するだけ、切ったり混ぜたりするだけの商品しか提供できないのであれば、それ相応の賃金しか支払われないですね。
ただ、当時飲食店を通して色んなことを学びましたし、毎日ご飯を食べさせてもらっていたのも大変感謝しております。
[大学3.4年]
大学3年生からは企業インターンをもとに時給を換算しました。
これについては完全に反則だと思いましたが、企業の方々の手を止めて邪魔ばかりしておりましたが、規則通りの賃金がいただけて今思い返しても恐縮の極みです。
[大学院生]
大学院生の頃は研究所でのバイトを時給として採用しました。
連携している企業からの依頼バイト(実験)をしていました。
合間合間で携帯弄りながら、タバコ吸いながら、実験して記録してを繰り返しておりましたが、当時について思うことが2つあります。
①実験の背景や本質を勉強してからやっておくべきだったということ
何をやっていたかほぼ覚えていません。単純に私の時間と体力を提供して賃金をもらうだけになってしまい、勉強する機会を失ってしまったことが今思いかえせば残念です。
②バイト代を学生にくれるなんて優しい研究室だなということ
研究室の学生が研究室に依頼された実験をやるなんて当たり前だし、企業からの謝礼は研究費に消えるのが大半な筈です。それをしっかり時給で支払ってくれるなんて慈悲深い先生だったなと感謝しています。
[社会人]
社会人になってからしばらくはサービス残業や資格勉強なんかに就業外で沢山時間を使いました。ただし時給が上がっていっていることを考えるときっと実りある意味のある行為だったのだろうと思います。
気が付けば飲食店でバイトをしていた当時と比較し、時給が沢山あがりました。
こうやって記録して客観的にみる事はとても大事だと思います。
豊かな人生を送るためには自分の時給と同額未満で自分の時間を節約できるものがあれば投資やアウトソーシングをするといいそうです。
例
時短家電…食洗器、ルンバ、乾燥機 等
時短サービス…年賀状のネットプリント、家事代行 等
宅配…買い物代行、デリバリー 等
ただ料理や掃除、洗濯が自分の気持ちを整理したり、気分転換する役割を果たしているという側面もあると思うので幸福度が一番上がる選択をしたいと思います。
(嫌で嫌でやりたくないことをお金で解決するのだ)
昔わたしの母親が、いつもモヤシの髭をぷちぷち手で千切っていました。
安いもやしを買っていたんだと思いますが
あれは家計を助けるためだったのか
もしくはモヤシの髭を千切るのが気分転換になっていたのか
今度聞いてみようと思います。