先日田舎で暮らす祖母が亡くなりました。
93歳の大往生であり、本人ではないですが、いい人生だったのではないかと思います。
今日は思い出として記録を残しておこうかと思います。
2020年1月に祖父が入浴中に事故で亡くなり
祖母は一人暮らしになりました。
元来楽観的な性格で、葬儀後も比較的に早く立ち直ったようで
畑での野菜作りや近くのAコープへの日々の買い物を楽しんでいたようです。
私が妻と子供を連れて帰省した時でも一緒に写真を撮るときはひ孫を抱っこしようとして喜んでいました。
(厳密には、抱っこして落とされたら困るので私に止められて抱っこしながらの写真は撮れていません)
そんな祖母が転倒して骨折したという知らせを聞いたのが春ごろの話。
骨折→入院→手術→リハビリ入院という生活が続き、頭と体が一気に弱ってしまったみたいであっという間に老人ホームに入ることになりました。
老人ホームでは友達もたくさんできたみたいでした。
また、自宅からも近いホームで、日中はヘルパーさんと一緒に家に帰ってきて
夜はホームで寝るという生活を送っていたようで私もそんな話がきけて安心していました。
7月末に妻と子供と訪問した際は自宅で会いました。
とても元気そうにしていましたが、こけて骨折したことは覚えていないと言っていました。1時間くらいは会話したと思いますが、苦笑いしながらの「わからない」「覚えていない」という回答が多かったように覚えています。
この時ひ孫との写真を撮影し忘れてしまったことが悔やまれます。
お婆ちゃんと話したのはこれが最後です。
次に連絡を受けたのは9月末、祖母が元気がなくご飯が食べれていないということでした。「心配だね」と返信はしながら夏バテくらいに考えていました。
家族lineでやり取りをしていくなかで、父が看取りのための面談を病院と施設としているだの、あまり長くないのではないかという雰囲気になって兄達(孫)と会いに行くことになりました。
当時はまだコロナ禍で緊急事態宣言中でしたが、ホームの方はこっそり裏口から入れてくれて、防護服を身に着けて祖母の部屋に入れてくれました。
祖母の部屋には1時間くらいいたかと思いますが
何を呼びかけても返答がなく昏睡のような状態でした。
私の父が髪の毛でこちょこちょをすると、かゆかったのか手で払いのけるようなしぐさをしていました。意識のほどはわかりませんが感覚はあるようでした。
これが生前の祖母との最後です。
それから父から祖母の容態をちょくちょく聞いていましたが良くなる気配はなく、一週間後に亡くなりました。
ちょうど娘の運動会の帰りで「今晩が山だと思う」という連絡を受けて、その連絡通り夜に亡くなりました。
帰省の準備をして通夜と告別式に参加しました。
「死」というのものに衝撃が薄いということにびっくりしました。
身内の死でいくと
小学五年生の時、曾祖父が夜中にトイレ行く際に転倒し亡くなりました。
これはあまりよくわかっていませんでしたが
19歳のときに母方の祖母が亡くなった時はとても悲しくて涙がポロポロ出てきたし、入院中も毎週お見舞いに行きながらとても悲しかったのを覚えています。
その後25歳の時に母方の祖父が亡くなりました。
この時も悲しかったです。
母方の祖父は親族内いい人ランキングでは低い方で、私は小さい頃に怒られて怖い思いもしたし、非常に偏屈なところがあって身の回りの世話をしてくれている母やおばちゃんに当たっている姿をみて「そんな事したらダメだ」って祖父に説教して口論になったこともあります。
単純に元気かどうか見たくて祖父の家に顔を見せに行くと「金(小遣い)をせびりに来やがって」って言われて「なんやいきなりその言い方は、金なんていらんわ」って言って帰ったこともある。
そんな祖父でも亡くなると悲しかった。
33歳の時、父方の祖父が亡くなりました。
祖父はとても優しかったし、遠く離れて暮らす思い出の少ない祖父ではない。いい思い出がたくさんある。
でもあんまり悲しくはなかったような気がする。
なんだかよくわからないうちに式が進んであっという間に通夜が終わって、お酒を飲みながら式場にとまって次の日は告別式であっという間に火葬場に行って骨になった。
なんだかよくわからないうちにあっという間に骨になった印象。
そして今回35歳で父方の祖母が亡くなった。
悲しいという感情がほぼなかったように思う。
不謹慎ながら私は式の前に昆虫採集をしていた。
(娘にはカマキリとキリギリスを採って大阪に持って帰ってあげた)
悲しくなかったなら嬉しかったのかっていうともちろんそんなことはなく
悲しいとか嬉しいとかではなくて
「生きとし生けるものすべて終わりがある」とか「順番」とか「儀式」とかっていう感じだったような気がする。
私以外の人間も皆さん悲しそうな人は一人もいなかったと思う。
前に述べた4人の葬儀で、私の中に身内の死を経験させてもらっていることもあると思うし、35歳のおっさんになったことでそれなりに死というものを人生の中で感じることがあったからなのかもしれないです。
もしかすると死というものも慣れがあるのかもしれない。
父を亡くした会社の同僚の方に「実父の死ってどんな感じですか」って聞く機会があった。
「よくわからんかった」って仰ってました。悲しいとかじゃなくて「よくわからない」「実感がない」っていう感情らしいです。
話は戻って祖母の話。
祖母との思い出も何個か書き残そうと思う。
■ のびのびのうまかっちゃん
インスタントラーメンを作ってもらった記憶があるが、びっくりするほど湯がくのでのびのびで「おばあちゃんのラーメンは魔法のラーメン。いくら食べても無くならない」いうのを言っていた記憶があります。
■ 何故か祖父と別々でお年玉をくれる
理由は不明でしたが祖父とは別でお年玉をくれました。
■ 祖父母宅から帰る際の見送りは車に乗り込むまで
祖父は私たちの車が見えなくなるまで見送ってくれましたが、祖母は何故か車に乗り込んだ瞬間に家に戻って行っていました。
■ 一人で話をして一人で笑う
人が聞いている聞いていないはおかまいなく、一人で話をして一人で笑っていました。
■ 看護婦長
私の妻が聞きだしてくれたので、最近まで全然知りませんでしたが仕事人としては出世された人だったみたいです。看護婦長として院長と一緒に学会に行ったりするような人だったそうです。
■ 後妻
祖父の妻は50年ほど前に亡くなっており、子供も小さかったこともあり当時の親族で後妻を探し回ったそうです。それで縁があって私の祖父に後妻としてきていただくことになったとか。
■ 怒られた記憶はない
怒られた記憶はない
■ 基本的に優しく悪い人ではない
■ 空気は読めない
あまり上手に人とお付き合いするのは得意ではないと思われる
■ 絵がめちゃくちゃうまい
水墨画がとんでもなくうまい。葬式でも飾られていたが、私が小学生の頃に祖母の水墨画を学校に持って行ってみんなで「すげーすげー」と言って騒いでいた。
以上、また思いついたら書こうと思う。